アトリエ訪問

新連載 第4回



アトリエ訪問 新連載 第4回
書家 北野攝山さん
−書壇への挑戦−
訪問者:松原 清





書斎 紙のストックと羊毛筆の前で 北野攝山氏

 

 大阪・鶴見緑地線の横堤駅近くにある毎日書道会総務、太源書道会理事長・北野攝山氏のアトリエ・書斎(鶴見区諸口)を訪ねた。本宅は奈良県生駒市にあるが、父の運送業で車庫として使っていた場所を利用したという。大量の紙と大量の羊毛筆、書籍に囲まれた20畳余りのスペースである。超大作は別として、ここから氏の作品が生まれ出ているのだ。




無心帰大道「禅語」121×60cm×2 2002 年

 

〔生い立ち、書の世界へ〕
 北野氏は1951年5月15日、大阪市北区で3男1女の次男として生まれた。子供の頃からヤンチャで負けん気、しかし音楽と習字には強い関心があったという。母の許しが得られず書塾への入塾が叶わなかったと聞いたが、その思いが書道の世界へと扉を開いたのかもしれない。高2の時の書道の先生であった森本龍石氏との運命的な出合いがあり、龍石氏のもとで、書を書く楽しさを開花させたのである。卒業と同時に北野氏は龍石氏に師事、北辰書道会に入門、そして花園大学に入学するのである。大学時代は書と麻雀と車漬けと聞く。遊び回ったが、「書」だけは書き続け、出席単位が足らずに留年。一期下の深瀬裕之氏と親交を結び今尚親しい。大学卒業と同時に書家で身を立てる決心をするが、父親に猛反対されたという。何とか父を説得して近藤攝南宅への挨拶に同席してもらい、攝南氏に師事を許された。攝山の号をもらったのも恐らくその頃であろう。その後高校教諭就任も決まり(51歳迄)、書を持続する地盤も確立。正に教育者、書家の二兎の比重を追う時代が続く。




金子鴎亭先生の歌 八首 131×34cm×8 2007 年

 

〔書壇への挑戦、新団体設立へ〕
 毎日書道展の初入選(以降連入)は1974年の大学時代だが、攝南師事の2年後から6年間で5回の毎日書道展秀作賞を受賞。10年で会員推挙、その3年後に35歳の若さで会員賞(グランプリ)を受賞している。
 しかしこの間、北辰書道会の新書派離脱という事件が発生、攝山氏も先師に従った。31歳の時で、その2年後毎日が読売とに分裂する。その頃、師の関係で金子卓義氏の知己を得る。恐らく今後の自分の立ち位置を考えるようになったと思える。北辰書道会には向井三聖、阪口大儒、そして高校の同級生・書道部の村崎萬径氏がいた。熱心な話し合いを経て、自分たちで切り開く道を選んだのは、1991年のこと。太源書道会の設立である。攝山氏は代表理事に就任、その新鮮な行動力の胎動に多くの人々が注目した。
 やはり展覧会はパワーが重要である。年を追って毎日書道展審査会員を着々と増加させたが、毎日書道顕彰を受けた後、2012年に読売からの毎日転向組の座本大氏、寺田白雲氏らの社中を連合し「書壇 響」を結成、理事長に就任した。惜しくも向井三聖氏の離脱があったが、注目されるリーダーとして活躍著しい。まだ体力あるこの2年の間に、自分の集大成の大個展を開催することが当面の目標だと言う攝山氏。

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 「こつこつと臨書を重ね、自分の書の骨格を身につけて欲しい」が若手に望む攝山氏の一言だ。