アトリエ訪問 新連載 第4回 |
アトリエ訪問 新連載 第5回 |
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最寄りの駅から20分ほど、冬枯れの畑地が広がり、ゆったりと構えた家々が散在している。岡田家は半分ほどが菜園になっており、母家の脇に彫刻家(息子さん)のアトリエがあり、裏に岡田さんのアトリエがある。 〔技術者から絵描きに〕 岡田さんは、絵好きの少年だったわけではなかった。親元から離れて独立したく、中学を卒えると企業内技術養成所に入り、寮で3年間過ごし技術者を志した。その様子を書いた一文からつまみ食い的に抜き書くと\ 東大卒の寮長は毎晩アルコールづけ。午前中4時間の学科授業の国語担当も東大卒の社内教師はいつも疲れた様子であり、世界史は東北大卒の社内教師で、授業中よく眠っていた。― “今思うと、会社の仕事に絶望したような教師が多く、人生のすべてを見てしまったような気がした”のだった。そんなある日、社内の講堂でフランス帰りの絵描きさんの個展を目にした。T不思議なものを見たような感じUがして、にわかに絵に興味を持ち、19歳で退社。 “ワダバゴッホニナル”と言ったかどうか知らないが、画家になろうと大検を受け、埼玉大学、東京芸大大学院と進み、人一倍勉強したのかどうか、文化庁派遣芸術家在学研修員として渡仏(2002年)までしてしまった。 独立展の初出品は1975年、大学院を修了した秋である。女性をモティフにした具象画であったが、次第に像が崩れ分解が進んだが、行き詰まっていた。そこで絵画のもとのもとから考え直そうと始まったのが「游能碁呂」シリーズ、'90年頃であった。 その当時の作品をぜひ見たかったが。 |
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〔「游能碁呂」のこと〕 |
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