アトリエ訪問

新連載 第6回



アトリエ訪問 新連載 第6回
洋画家 紀井 學さん
―芸術は本能の表現―
訪問者:中野 中


 かつて“明治政界の奥座敷”といわれた大磯に来た。伊藤博文をはじめ大隈重信、陸奥宗光、西園寺公望から吉田茂らの邸跡公園をめぐり、隣の平塚市域の湘南平まで、出迎えて下さった紀井さん運転する車でご案内いただいた。北に丹沢山塊が連なり、その西に冠雪の富士山を望み、ふり返って南には太平洋が広がる雄大な眺望と、春めいた陽射しに梅花や早咲きの河津桜にすっかり心を和なごめ、この後の取材への心構えのスイッチが心配になるほどだった。この標高180mの湘南平までの6、7キロmほどの往復散歩を日課とする紀井さんは健脚、かくしゃくとした元気ぶりである。
 旧東海道の松並木を抜けた先の築20年のお宅は手ずからの設計。ロウ梅が香り、柚は黄色い実を成し、小庭には花々が彩りを奏でている。



画家本人が設計したアトリエ、太い柱の礎石はまさに磐石。

 

 *  *  *
 明るく温暖な伊予(愛媛県)に生まれ育ち、小学4年で油絵を描くほど絵が好きで得意でもあった。美術学校への進学希望は、親の反対で東京経済大学へ進み上京。絵画実習のある教育学部を選び、サラリーマンになってすぐの23歳で新世紀展に入選、以降退職するまでサラリーマンと二足(登山も含めて三足)のワラジを続けてきた。
 中近東の遺跡や山を眺望する風景画、あるいは廃屋の壁にからまるカラスウリをモティーフにした写実画を描いていたが、70歳を迎えた(サラリーマン現役を終えた)2011年1月の個展(銀座6丁目・ギャラリー志門)で大ブレイクした。まるで胸底に矯た めに矯めていたマグマが爆発したかの如くであった。会場は満身原色に染めあげて踊動する女たちに満ち溢れ、そのエネルギッシュでワイルドなエロスに、“これが紀井なのか”と衆目を驚かせたのだ。この作品こそ縄文時代・縄文人のオマージュなのだ。




「混迷から再生への蠢動」

S130この5月の新世紀展に出品される。

 

最近の本紙に、
 ―縄文文化の極めて高い精神性による造形力、その根源は自然界全てが輪廻転生であり、太陽・月を始め草木も転生すると信じられていたからだろう。縄文芸術の作者は女性であり、子を授かる祈りを本能に従い作られたと考えられる―と述べ、
 ―芸術とは本能の表現だ−と結句している。
 また別の機会に、
 ―生身の僕の脳髄のパルスを表現したい−とも告白する。




「縄文のこころ」 タテ161cm×ヨコ61cm
古麻布がコラージュされている。

 

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 “こうあらねばならないはない”と、使い捨てられた麻袋やスカーフ等のコラージュ、下地に石膏や粘土なども用いる。
 首を巡らすと、アトリエの柱に“単純、明快、平面化”と書いた紙片がピンアップされている。
 一見、粗放で単純、素朴でプリミティフであり、健康的に強くメッセージを発信しているその表現は真に“今日的”だ。
 混沌猥雑に見えるアトリエにも、紀井流秩序がちゃんとあるのだ。(新世紀美術協会委員)