続・足裏庵日記(1)   ―自 画 像―    中野 中 (美術評論家)


 絵画は、客体(対象)を主体(画家自身)がどう解釈したかを表現するものだとすれば、自画像というのは、客体と主体が同一という奇妙な代物である。それ故に、自画像には尽きぬ 魅力があるとも言えよう。  

 私はいま、自画像に嵌まっている。実は一昨年、某画廊の5周年企画の依頼を受けて、〈新世紀の顔・貌・KAO―30人の自画像〉展を一年余の準備を経て立ち上げた。日本画家・洋画家・版画家・彫刻家の現存30名に6号大の新作書き下しを発表していただいたのだが、思いもよらぬ 好評をいただき、実は今、メンバーを総入れ替えした2回目の自画像展が6ヶ所の会場を巡回中である。  

 好評をいただいているのは〈自画像〉という課題にあるらしい。  

 自画像といえば、レンブラントやファン・ゴッホのそれがよく知られているが、日本で自画像が描かれはじめたのは、明治以降、西洋画の手法が移入されてからだが、それでもレンブラントやゴッホのように若年から晩年まで描き続けた例はほとんどない。素描などではよく描かれているのだろうが、日本では美校の卒業記念に制作したきりという画家が多い。その点で今更に自画像の要請は意表を衝いた感があったのではないか。この機会にタブローをやってみよう、ということだったと思う。依頼したほとんどの作家が快く応じて下さった。  

 一方、見る側には珍しいモティーフでありテーマであったし、しかも30人というまとまった数が圧倒的だった。とにかく見る機会の少な

い自画像である。造形とし ての面白さに加えて、作家のコンセプトが明確に見えてくる興味がある。作家自身を知っていようがいまいがそのことに関わりないが、知っていると更に興味は深まる。  

 もう一つ、人選の面白さを指摘する声が各会場で多く聞かれた。そのことは企画意図として内心ねらっていたのだが、まず作風の幅の広さ、つまり写 実的傾向から抽象系、現代美術の作家までを網羅したこと。つまり規制の枠がない。肯定的悪口で、人選がメチャクチャだ、という人たちもいた。それでこそグループ展は活力が生まれ面 白いのだという信念が私にはある。又、私がアウトロー的立場にいることが可能にした人選でもあろう。  

 それでなくても自画像は個々のコンセプトが明確に出て、それぞれが個性的である。そこへ多様な幅広い人選は、まさに作品一点一点を聳える孤峰のように屹立させている。うまいへた、失敗・未熟はあっても、自画像に駄 作なし、である。  

 もう一つ、自画像展がこれほどに歓迎された大きな理由に、時代の風潮がある。20世紀が拡大発展膨張の時代であったのに対し、21世紀はそのことの見直し、反省の時代としてスタートした。内省の時代として自分の内へ眼を向ける。そうした時代風潮も追い風になったかと思う。  

 企画当初、3回100人の自画像を願っていた。その3回展の準備が進んでいる。

 

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