折々の眼(1)   
コンクール展に応募すべきかどうか
 −賞狙いでなく、自作路線の延長でなら− 
ワシオ・トシヒコ(美術評論家)


               

 絵描きさんたちの作品の発表方法といえば、個展を軸に、二人展やグループ展がある。入選を大前提とするなら公募団体展、県展、コンクール展も、活用に値するだろう。  

 それらでもっとも注目され、ニュース性の高いのが、全国各地の自治体や民間団体が主催する多種多様なコンクール展ではなかろうか。これまで私も、さまざまなコンクール展の審査を務めてきた。そのせいだろうか、「コンクール展に応募すべきか、どうか」と訊かれる場合がよくある。  

 私の返事は、至って明快だ。  射倖心を増長させるだけの賞狙いが目的なら、初めから応募しない方がよいだろう。事前に審査員の画風の好みや過去の入賞作の傾向をチェックし、それに適応する作品を制作するなんて、あまりにリスクが大きすぎる。リスクが大きいだけに、もしも入賞はおろか入選さえ逸したら、精神的ショックが測り知れないだろう。再起するまでに、相当な時間を要する。  

 賞狙いでなく、たまたま現在進行形の作品傾向が応募しようとするコンクール展の性格に合致するなら、積極的に奨めたい。落ちて、もともと。返送されても、意欲的な作品が、個展に向けてまた一、二作増えたと思えばよい。  

 基礎的造形力がしっかりしていれば、入選、もしくは入賞直前まで行くだろう。その辺りまでは、審査員の挙手が極端に割れることがないからである。問題は、それから先だ。作品が或る一定レヴェルに達してい

れば、あとは審査員の客観という名の主観的判断が強く働く。芸術は、永遠に正解のない世界である。だから、探求に限界がない。奥深く、面 白いのはそのせいなのだ。  絶対評価などない。みな、相対的評価で審査が決まる。審査員同士の主観と主観が衝突すると、審査委員長が巧みに調整し、あとは票数の論理で決着させるだけのことなのだ。  

 入賞するかどうかは、したがって時の運のなせる業に近い、といってよいだろう。絶対評価の結果 などではない。だから入賞しなかったからといって、それほど落胆するほどのことでもないのだろう。  

 仄聞した話で、こんなのがある。或る地方のコンクール展で、絵画教室の先生が落選、生徒が入選したため、その先生は教室を閉鎖し、他県へ引越してしまったという。笑ってすませられたことも、こうなってしまったら悲劇としかいいようがないではないか。  一方、入選した幸運に時のミューズに感謝するのはよいとして、いたずらに過信し、誇示するのが好ましくないのは、いうまでもない。  

 究極のところ、自作を評価するのは他人でなく、自分自身だ。厳しく自作をチェックできればできるほど、やがて大輪の花を咲かせることができるだろう。自作にやさしければやさしいほど、本来の評価への道が遠くなって行くのも理の当然である。  

 コンクール展に応募すべきか、どうか。それは、あなたの明日への制作姿勢如何にかかっている。

 

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