続・足裏庵日記(2)   ―企 画 展―    中野 中 (美術評論家)

               

 このところ企画展に嵌っている。意欲的、意識的に試みている。ことに今年の前半期はいくつもが集中して、自分でさえモノ書きでなくイベント屋のようでさえあったし、空間的移動も多く落ちついて執筆する気分的余裕も少なかった。しかしそれを裏返してみれば、それだけ時間的充実感は少なくとも濃密であった。その分、精神的ストレスは相当高まっていく。がそう気分の悪いものでもない。快感的ストレスといったら笑われようが、所詮は私がオポチュニストだからなのかも知れない。  

 いつの間にかいくつもの企画展を仕掛けたり関わったりするようになっていたと言ったら、軽率の謗(そし)りは免れないが、そんな気分や雰囲気が身の回りに濃厚に感じられるようになったことも事実だ。が私なりに意図はハッキリとあって、そう尻軽な妄動ではない。一つひとつの旗幟(きし)は明確でありたいし、あるべきであり、そうしてきたつもりである。そしてこうした行動の基底にあるのは、企画展は一つの批評行為だ、という理念である。そのことだけは確かにしておかないと、自分のやることに規制がなくなってしまう。理念としての規制は絞り込むほどに鮮明となり、企画展の意味や意義もハッキリと訴えられる。  

 そう考えるのは企画者としての私だけのことで、答えはギャラリー(観客)にゆだねるべきであろう。しかし少なくとも私の企画に参加して下さる作家諸氏は理解してくれて、だからこそ参加し協力してくれているに違いない。その

ことは出品される作品 を見れば明らかだ。展覧会の企画は個展であれグループ展であれ主役は作家であり作品なのだ。企画者の私はあくまで裏方に徹するべきなのである。(ただし、理念としてのリーダーシップは明確にとらなければならない)

 何故にこうも企画展に嵌るのか。一つには反応がダイレクトであることだ。良くも悪くも結果 が迅速である。すべてはギャラリー(観客)にある。したがって私は会期中は出来るだけ会場に足を運ぶことにしている。一人ひとりの観客が作品の個々にどんな反応を示し、全体に対してどう感応しているかを観察する。時には感想や印象を聞かせて貰う。そして思いもかけぬ 意見にも出会う。そこから新たな可能性を発見したり、次なるための反省をする。何よりも一番嬉しいのは会期の後半に観客が増加することだ。その中には二度目の観客もいる。案内状は出来る限り多く、稠密に配付するが限界がある。後半に増加するということは口コミによるからに違いない。あそこでやってる展覧会、面 白いよでも、かわった展覧会でも、何でも良い。そうした興味と関心が口コミで伝わっていく。これが企画者の醍醐味であろうか。自分の目とアイデアと批評精神が少しでも認められたという喜び、これが嬉しくてクセになるのかも知れない。  

 まだいろいろなことがある。もちろん批判も甘んじて受け入れる。諸々の悲喜こもごもが生きている実感を体感させてくれるのだ。

 

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