折々の眼(2) 水墨画ブームは幸か、不幸か ワシオ・トシヒコ(美術評論家)

              

 これまで水墨画というカテゴリーについて、じっくり腰を据えて掘り下げる機会に恵まれなかった。もちろん、水墨で描くのを得意としたり、奥深いその技法を巧みに取り込む日本画家は知っていて、作品を観もするなれど、あくまで日本画の傍系としての水墨画への関心にすぎない。  

 ところが昨年の後半からことしにかけ、「雪舟展」、長谷川等伯の「松林図屏風展」、「雪村展」、それに水墨画作品も多い「横山大観展」といったビッグネームの大規模展が、次々と開催されるに至った。数年来ちょっとしたブームの感がある水墨画の存在が、これで一気に加速的に浮上し、表面 化する。これで否応もなく、日本の水墨画の伝統と現在について正面から向き合い、日頃の軽い頭を重くせざるを得なくなった、というわけである。  

 このような動向を追いかけるだけでも気忙しい日々なのに、なぜか私のような者にも、大阪で開催されるシンポジウム「二十一世紀の水墨画を考える集い」の基調講演の依頼が舞い込んだ。  前回の講師は、独特な視点とスタンスで話題の山下裕二氏(明治学院大学教授)である。となれば、近・現代美術を専らとする水墨画の門外漢に等しい私としては、せめて水墨画壇の現状を把握するべく、東京都美術館の「日本南画院展」、「日本水墨画展」、「日中合同水墨画展」などといった有力公募団体展を足早に観て廻った。

なぜ今、水墨画なのか。一口にいえばまず、素材としての簡易性にある。水と墨と紙と筆さえあれば、トレーニング次第で、誰だって自由に描ける。眼に染み入るような余白や、たっぷりした表出空間が、もともと日本人は好きだ。そこから或る種の癒しのような爽快感を受けるのも、人気の秘密なのかもしれない。定年退職したり、子育てからやっと解放された熟年男女たちが、街のカルチャースクールの水墨画教室へとせっせと通 うのは、そのせいなのだろう。美術系大学の日本画コースの学生が減少したばかりか、いつの間にか水墨画へ転向していたと担当教員を嘆かせるケースなど、今や珍しくない。  

 しかし、どうなのだろう。もしかしたらこうした現象は、水墨画壇にとって、必ずしも幸わせばかりでないのではないか。確かに、水墨画壇の裾野を広げるアマチュア人口がいっそう増えるに違いない。が、水墨画本来の伝統性に開眼し、頂点をめざそうとする才能がはたしてどれくらい育つのだろうか。  

 今回巡った水墨画展に共通するのが、墨を精神的素材としてより、造形上の単なる黒い色として扱っている点だ。似て非なる ″洋画ふう水墨画″の盛況が、かえって水墨画壇の足もとを掬いかねないのではないか。そう危惧する一方で、まずは質より量 、量がやがて自ずと質を選ぶ方向へ進めばいいじゃないかという楽観が、私の頭の中に無くもない。

 

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