続・足裏庵日記(3)   ―精 神 衰 弱―    中野 中 (美術評論家)

               

 新聞をひらけば理解の外の事件が陸続し、テレビをつければ愚にもつかぬ ワイドショーのオンパレード。国会の先生方も負けじとワイドショー的狂宴を展開し、街行く人は肩を落とし下を向いて歩き行く。W杯に花火にと狂乱する若者は心の空洞を抱えて目はうつろだ。  

 バブルがはじけて10数年、いつの間にかこれほどまでに精神が衰弱し損耗してしまったのか。  

 どうやら私は勘違いをしていたらしい。バブル景気のあまりの出鱈目さはにがにがしい思いで見ていたが、一方で経済の発展はパラレルに美術文化も発展するであろうと考えていたが、それは軽率な考えであり、浅はかな了見であったと反省している。  

 確かに、美術館、美術系の大学や画廊などが増え、それに伴って学芸員、美術研究者や画家、画商など美術に関わる人々も増えた。ただしそれは、ハードとしての物的人間の数が増えただけであって、質としての人材が育ち、増えていることを意味しているわけではない。  

 東京都現代美術館では、K館長が辞めた後、ほぼ一年後任館長が決まらず空席のままであった。いろんな事情があったにせよ、館長人事がこのような情況であることは、人材不足を物語る一証左と言えよう。  ここまで書いて来て、本来の主旨とは違った方向へ筆が走りそうだ。抑制が利かない。普段不思議に思っていることを書いてしまう。それは公立美術館の館長に常勤が少なく、多くは週に1、2度が一般 的

と聞く。館のトップがこれで健全な美術館運営が出来るのだろうか。おまけに美術館のかなめである学芸の責任者に行政の職員が座っている。 専門家でなくては勤まらない仕事を、素人の、しかも2、3年でポストの移る行政職の人が担当する。このあたりのことがサッパリわからない。力のある、仕事の出来る若い学芸員が館を辞めて大学のほうへ転身する例などをよく耳にするが、右のような人事がやる気を奪っているのかも知れない。  

 もう一つ心配なのは、国立美術館の独立行政法人化です。いずれ公立にも及ぶことと思うが、一番危惧されるのは、美術館の評価が収容力、学芸員の収客能力で計られることである。もともと芸術・文化というものは金額的、数量 的に評価できるものではないはずだ。そうでなくても民間の美術館では一般の人たちが関心を持ち易く、したがって入場者が多く、グッズの売れるものに傾っている。一番大事なこと、即ち美術への関心の喚起、啓蒙性を放り出して、国公立までが採算性優先、数量 の論理に陥ってしまう惧れありなのだ。  

 そんな悲惨な文化情況の中で若い絵描き、明日を目指している人たちに何と声をかけてやれるのか。同時代に生きて、同時代人の感覚を刺激し、共振させ、少しも休まず最前線を切り拓こうとする意欲までも阻喪させてしまっていいものなのか。芸術とは生きる精神的な力を人間に与えるもの、だから精神衰弱の今日に最も必要なものなのだから。

 

 

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