折々の眼(4)   黄色いテープ     ワシオ・トシヒコ(美術評論家) 

               

 昨年のアメリカの “9・11ショック”や東村山市のホームレス撲殺事件などの持つさまざまな意味を改めて問い直し、自分たちなりに掘り下げてみようというコンセプトで、今秋、平川正、山岸直子、ワシオ・トシヒコのコラボレーション「黄色いテープの向こう側」を開催した。会場は、東京・青山のスカイドア・アートプレイス。現代美術系では、よく知られるスペースである。  

 現実と非現実の両面を合成合体する山岸直子のコンピュータ・グラフィックスの超大作が、現代人の深層心理の反映と思われる平川正の奇形化した立体の三体像を囲繞するように、私が展示構成した。  

 スペースの角(かど)と柱状箇所を巧みに取り込んだのが珍しく、とても鮮烈だったらしい。「美術手帖」や「ぴあ」などが会期を告知してくれたせいか、まずまずの反響と声価を得ることができたような気がする。  黄色いテープと一口にいっても、すぐには何のことやら思い浮かばないだろうが、捜査段階中、事件直後の現場に張り巡らされる立入禁止区画を示すテープ、と説明すればわかってもらえるだろうか。事件の当事者(被害者、あるいは加害者)と大多数の傍観者たち(弥次馬)を分かつ境界線の役割を果 たしている。  

 世界の動きは今、傍観者がいつまでも傍観者のままでいられる保証や安心など、何一つどこにもな

いように思われる。いつ予期しない事件に巻き込まれ、いつの間にか当事者本人となって、黄色いテープでこちら側を張り巡らされるかわからない危うさに直面 しているからだ。したがって厳密には、黄色いテープの向こう側でなく、むしろこちら側にこそ、事件の芽が常に潜んでいる、といえるのかもしれない。黄色いテープが向こう側に張られたら、もう事件のヤマを越えたも同然だからだ。 

 アメリカが現在、黄色いテープのこちら側で暗躍しているのも、もしかしたらそうした状況認識に依るのではなかろうか。  「黄色は唯一絶対の太陽と、大いなる地上とを表わし、自然の恵みの色とする見方が世界各地に根強い。古代ローマや中国では皇帝の色で、庶民にとっては禁色だった。やがてヨーロッパでは、キリストを裏切ったユダの衣服の色と似ているところから下級の色とされ、第二次世界大戦でもまた、ナチスがユダヤ人の迫害に利用した。このように黄色は絶対的権威と同時に汚れをも意味し、対立概念を一つに包含しているところに大きな特徴がある……」  

 私は以前、黄色についてだいたいそのようなことが書かれていた本を憶い出す。  世界中のありとあらゆる都市や村の隅々に、やがて黄色いテープがいっせいに張り巡らされることがないよう、密かに祈るばかりである。

 

topページへ
2002〜2003 essayへ