続・足裏庵日記(5)  ― モティベイション ―  中野 中(美術評論家)

                 

 今春から社会人となって会社の寮生活をはじめた息子は、やはりアパート生活をしている娘は何かと連絡(電話)をまめにしてきて我が女房殿を安心させたり喜ばせたりしているが、少しも連絡をくれない。私は男の子なんてそんなものだろうと割り切っているが、女房はどうにも寂しいらしい。  

 ところが、つい先日の女房の誕生日に、グロリオサの赤い花束が届けられた。簡単なカードには ″お誕生日おめでとう。元気でね″ と素っ気ないが、差出人が息子と知った女房の感激ぶりがすごかった。  

 花束を抱いてしばし呆然いやうっとりしていたが、やがて押入れの奥から私たちの結婚式にいただいた我が家の最高級の花瓶をとりだし、花束を活ける。それを居間のテーブルに飾ってしばし眺め、次いで窓際へ、ここでもないわねなどと一人ごちながら。ピアノの上、あるいは玄関の下駄 箱の上とその置き場所を求めて右往左往をしていた。やがて静かに落ちついたと見ていると、あろうことか絵など描いたことのない女房が、あり合わせの紙の裏に鉛筆でスケッチをはじめたではないか。  

 私はその感動ぶりにただ呆きれるばかりだったが、絵を描こうとする心の高まり、つまりモティベイションは意外とこんな日常にあるものらしいことに気がついた。  

 話題は一転するが、このところ女房と二人でのドライブを積極的に楽しんでいる。この秋だ

けでも青森県の八戸市をはじめ、新潟県の六日町市、金沢市から飛騨経由岐阜県の下呂温泉などしきりである。10数年の勤めを終えた女房を慰労する気持ちもあるし、やり始めてみると気の置けない女房とのドライブは気楽だ。何よりも列車の時刻に制約されたり乗り換えのわずらわしさもない。自由気侭に寄り道できるのも車ならではである。

 かといって純然と遊びに出かけているわけではなく、すべて取材等仕事がらみというのが我ながらいじましい。  

 これまで新幹線で何度か出かけた処ではあっても、途中の景観がまったく違う。八戸へは往きは高速道路をひたすら飛ばしたが、復りは三陸海岸沿いに45号線をゆるゆると走った。昼どきには港の食堂で新鮮な地の魚を食し、陽光あふれる太平洋を存分に楽しんだ。陽が暮れれば最寄りの温泉宿でゆっくり温泉につかれば良いという、時間も気分もぜいたく三昧(といっても節約旅行で気分と時間からの解放だけが最高のぜいたく)。  金沢行では嵐に荒れる日本海、飛騨では真赤に燃える紅葉に降り積もる雪、このコントラストにはさすがに感動した。  

 ふつうならここで写真のシャッターをという場面の連続で、美しい日本の国を満喫した。ただ私はカメラを持ち歩かない。写 真を撮ることにかまけて、目の印象が弱くなる。だから目に灼きつけることに集中し、ことばでメモろうとする。これなども制作へのモティベイションとなるであろう。

 

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