折々の眼(5)   森 女 学 園      ワシオ・トシヒコ(美術評論家) 

               

 女学院ではない、女子学園でもない。女学園。昭和の戦前や戦中ならいざ知らず、今どき、こんな呼称の学校など、はたしてあるのだろうか。その学校へ行くと、十歳代後半から二十歳代くらいの創造心に炎えるピチピチ・ギャルたちが賑々しく出入りしていて、一緒にアートの話ができるというわけである。評論家、ジャーナリスト、コレクターのおじさんたちにも、結構人気なのだ。  

 園長兼なんでも係が、四十歳代半端の森弘幸さん。ちょっと太めのチャーリー・チャップリン、といった印象の人である。専任の教員が一人もいない。参観者や画学生たちが、互いに非常勤の教員になり合ったりする、安上がりの学校だ。  

 学校、といった。しかし実は、そう妄想しているのが私くらいかもしれない。健全な眼には、普通 の小さなギャラリーなのである。「森女学園」というニックネームは、私が勝手に命名したまでのこと。「ギャラリー銀座フォレスト」が正式名称だ。  

 銀座二丁目に、モボ・モガが闊歩していた昭和戦前の時代をイメージさせる古い七階建てのビルがある。この奥野ビルの内部は、かつての江戸川乱歩や夢野久作の世界にでも迷い込むようなミステリアスな空間だ。各階の暗い廊下に面 し、四畳半か、六畳くらいの小ギャラリーが、寒々しく肩を寄せ合っている。その五〇七号室が、通 称「森女学園」の名で知られるギャラリー銀座フォレストである。闇夜の灯のようにぽおっと華やぎ、いつも息づいている。

それにしても、なぜ「森女学園」なのか。  

 東京の美術大学を中心に、オーナーの森さんは、美術系の学校の卒業制作や学園祭の展示作品などに絶えず目配りし、将来性豊かな画学生に直接声を掛け、展覧会を企画しつづけている。開廊、七年。ここで初個展を開いて注目され、晴れて美術界にデヴューしたアーティストが数多い。例えば曽谷朝絵、播磨みどり、上田風子、薮下育絵など、挙げたら切りがない。  

 しかし、森さん個人の名誉のために断っておく。彼がまだ独身だからといって、決して若い女性ばかりをターゲットにしているわけでない。可能性に溢れる男性も、歓迎している。結果 的に女性が主になるのは、そもそも初めから、美大には女性の方が多いせいなのだ。現代日本社会の正直な反映なのだろう。親しみを込めて、私が「森女学園」と茶化す理由に、まったく他意などない。  

 ここでの作品発表体験者は、すべからく正規の学校の卒業に次ぐ、第二の輝かしい“卒業生”となる。もしかしたら卒業生たちが、やがてこの先、「森女学園同窓会」を開催する日がやって来ないとも限らない。森学園長のご満悦顔が目に浮かぶ。その折にはどうぞ、華やかな祝いの輪のなかへ、私もゲストとして迎えてほしいものだ。

 

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