折々の眼(6) BGMに支えられるTV美術番組 ワシオ・トシヒコ(美術評論家) 

               

 新潟市美術館で行なわれた「丸山正三展2003」に先行関連する新潟総合テレビの番組のインタヴューを受けた。美術関係における私のテレビ出演は、CSデジタル衛星放送以来だから、まったく久方ぶりである。1980年代後半には、NHKの「日曜美術館」、「ETV8文化ジャーナル」、テレビ朝日の「プレステージ」など、どういうわけか立てつづけに声が掛かったこともある。  

 しかし美術関連番組というのは、茶の間で眺めている分にはそれなりに楽しめるけれど、出演する方としては、シナリオめいたものが用意されていたり、リハーサルがあったりで、とにかく厄介だ。とかく形式主義が嫌いで、原稿なしのハプニング性やライヴ感覚を重視する私にとっては、とても不自由で、後悔する場合が多い。  

 何よりもテレビ放送の美術番組に不満なのは、美術作品が音楽に過剰に依存しすぎること。それが当然であるかのように何の疑いもなく、紹介作品の背後から必ずBGMが流れる。BGM次第で、美術作品がドラマティックになったり、軽々しくなったり、さまざまに変容する。美術は眼を通 して脳髄に働きかける知覚的なものだが、音楽は人間の全身全霊を包み込む超感覚的なものだ。したがって、美術作品がBGMにかかったら、ひとたまりもない。つまり、ジャンルとしての自立性が足もとからおびやかされるのだ。

美術も、音楽も本来、芸術という大枠のなかで、個々に厳しく自立しているジャンルのはず。それが美術番組のなかで、美術が音楽に依存しなければならないとは、いったいどういうことなのだろう。だいいち絵画には、クレーやデュフィや三岸好太郎などの例を出すまでもなく、それ自体が視覚的に音楽性を帯びる作品も少なくない。それにもかかわらず、更に実際の音楽をかぶせるとは、どういう了見なのか。展示空間にBGMを流す美術館など、めったにあり得ないのである。  

 もちろん私は、テレビ放送の美術関連番組から、音楽をすべて排除しろと主張しているわけではない。すべて音楽なしでいったら、視聴者が退屈するばかりか、番組自体が成り立たなくなるだろう。だからせめて、番組でピックアップする作家の主要作品くらいは、美術館やギャラリーで観る臨場感を再現すべく、解説はナレーションかテロップだけに留め、数秒間無音の静止画像で、視聴者を作品そのものに釘付けさせる手法も考えるべきだ、といいたいのだ。試みる価値が、十二分にあるはずである。とにかく、もっと創意工夫がほしい。たとえ現状では、番組全体のメインとなる作品以外、BGMで場と時間をつなぐのがやむを得ないにしても。  

 テレビ放送の美術番組で、美術そのものを真に音楽から解放して自立させるには、いったいどうすればよいか。美術と放送関係者に、もっともっと真剣に考えてもらいたい。美術は、音楽の従属物でないのだから。

 

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