折々の眼(9) 
    「三岸好太郎展」で甦った旧著 『異色画家論ノート』    
                             ワシオ・トシヒコ(美術評論家)
 

               

 大正から昭和にかけて描画の脱皮を繰り返えし、31歳の若さで蝶のように昇天した三岸好太郎(1903―1934)。彼の生誕100年を記念する回顧展が、北海道立三岸好太郎美術館・北海道立近代美術館で立ち上がり、下関市立美術館を経て、現在、府中市美術館で開催されている。このあと、名古屋市立美術館を巡回する。  

 これまでの「三岸好太郎展」のなかでもおそらく、内容、規模とも最高レヴェル、といってよいのではないか。それに個人的に何より嬉しいのは、十四年も前に出版された私の二番目の美術著書である『異色画家論ノート』が、この「三岸好太郎展」によって甦生され、同展へ同行するように、各巡回館のミュージアム・ショップで売られていることである。  

 デタラメが横行する経済至上の不平等社会に生きるわれわれにとって、唯一、平等なのは死だけだ。こればかりは、どんなに大金を積み上げようと免れることができない。したがって齢を重ねるにつれ、この世での形ある生存の証しを求め始めるようになる。画家ならより秀れた作品、私のような者なら、著書や編著書といったように。

私の著書や編著書は、これまで美術書が七冊、詩集の類が四冊である。しかし最新刊が一九九六年だから、その間、なんと七年も生存の証しを残していないことになる。ということは現在、書店へ行っても、ワシオ・トシヒコの著書を一冊も手にできないというわけだ

。ところが突然、異変が生じた。書店でないけれど、ミュージアム・ショップに旧著が並ぶようになったのである。  

 あれは5月末か、6月に入ってからだったろうか。版元の舷燈社の柏田崇史さんから、まったく久々に電話があった。三岸好太郎美術館から連絡が入り、『異色画家論ノート』をぜひミュージアム・ショップで扱わせてほしい旨依頼があった、というのだ。なぜと思ったが、そういえば同書に「海を渡った蝶」という、三岸好太郎についての評伝を収録していることに気づき、合点した。嬉しい反面 、あの感情移入たっぷりな若書きの文章がはたして今、読むに耐え得るかどうか、かえってその方が心配になった。  

 同書で対象とした画家は、好太郎を含め、高間筆子、手塚一夫、長谷川利行、小泉清、四方田草炎、高山良策の七人。そのうち長谷川利行は、私を詩壇から画壇への住人に誘うきっかけとなり、小泉清、四方田草炎、高山良策については、自ら回顧展を企画し、展示構成も手掛けた。高間筆子と手塚一夫についてはその後、同書が数少ない貴重な文献資料となっている。  

 「三岸好太郎展」もいよいよ、名古屋市立美術館でフィニッシュとなる。8月30日から、10月19日までだ。展観のついでにミュージアム・ショップに足を運び、わが旧著を手にしていただければ、こんな幸いなことはない。

 

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