折々の眼(14)  このままでよいのか  ワシオ・トシヒコ(美術評論家)



              

「美術はいかに生き残るべきか/死ぬべきか」。これがことしに入り、美術の或る直接購読小冊子がアンケート募集した ″はがきコメント″の設問である。その回答文が、最新号に掲載された。設問の焦点がいくらか曖昧だったせいが、読者からの回答が少数に留まったけれど、例えばこんなのがあった。五〇歳代の美術家という。長いから原文の「です、ます」調を省き、改行せずに引用する。  
 

 美術は社会のため、人の幸福のために生き続けている。今は美術は素直な人の仕事であって、ひねくれた考えを持っている人の仕事ではない。自分の立っている足場にうたぐりの目を持つような人は美術など必要としない。美術は社会に対して意義ある素直な批判もしつつ、人と人のあいだに新しい関係をつくり、感動を与え、幸福にもするという大きな仕事がある。それゆえ、美術を信じ、その可能性を信じ、社会の要請に応じて、より質の高い、より先端的なところを目指さなければならない。力士が、土俵の有り様にうたぐりを持つと、それはもはや相撲ではなくなっていくのと同様、美術の有様にうたぐりの目を持ってしまうと、それは(今日の)美術といえなくなり、充実した仕事ができなくなる。批判の精神も使い分けなければ危なくなり、自分の幸せな生活も脅かすことになるので、気を付けなければならない。本当の批判精神を持った人がいるとすれば

 

、その人はもはや、美術の世界にとどまってはいないかもしれない。

  小泉首相が双手を挙げて喜びそうな、この楽天的美術観を非難するのはやさしい。しかしもしかしたらこれこそ、日本人美術家たちの現在の平均的美術観なのではないか。これでは自由を創造の砦とする美術家も、政治家や会社員や職人やスポーツマンなどと何ら変わりがない。保身のためには長いものに巻かれなければならない、というわけだ。いつから美術家たちは、こうなってしまったのか。  
 

  「本当の批判精神を持った人がいるとすれば、その人はもはや、美術の世界にとどまってはいないかもしれない」。とりわけこのくだりが、刃物のように私の胸に突きつけられたような気がしてならない。同じ ″はがきコメント″で、私は次のように回答しているからである。  

  もしも美術を生き残らせたいと願うなら、とりあえずは選挙で、政権党の大暴走に、確実にブレーキをかける必要がある。そうでないと、いずれアメリカ向けに改憲され、自衛隊は正式な軍隊となり、若者は徴兵され、新たな治安維持法(有事法)も浮上するだろう。政治の夢が、限りなく美術の悪夢になるのは、すでに歴史が証明している。  

 美術家である前に、まずひとりの社会的人間として自覚する必要があるのではないか。

 

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