折々の眼(15)  国内より海外で通 用する会員証  ワシオ・トシヒコ(美術評論家)



              

 前回 “眼の先生”でなければならないはずの美術評論家が、効率優先的消費社会の悪しき平等主義の犠牲になりつつある現状を嘆いた。嘆きついでに今回は、その多くが所属する美術評論家連盟(事務連絡先・東京国立近代美術館)なる組織について、少し触れてみたい。  
 

  国内では美術評論家連盟で通るけれど、正式には、パリに本部を置く国際美術評論家連盟(AICA)の日本支部である。土方定一を初代会長とし、日本に支部が設けられたのが1954年。ちょうどことし、結成五十周年というわけだ。入会するには会員二名の推薦を要し、理事会で書類と著述実績のチェックを受け、総会の承認を得なければならない。日本支部の会員は現在、各地に一五九名いる。前回書いたように、美術館の館長と学芸員、それに大学の専任教員など、いわゆる “エリート・サラリーマン評論家”が圧倒的に多い。したがって、同様な国際組織の支部である日本ペンクラブと明らかに異なる点は、反戦平和などの社会動向へアピールをだそうとしても、なかなか実現できないこと。在野精神がなければ、健全な評論活動など不可能に等しい。集まりの大半が保身的な管理職では、どうしようもないのだ。  

  この11月20日に50周年記念行事として、竹橋の東京国立近代美術館講堂で「日本の美術評論のあり方」というシンポジウムを開催するらしい。埼玉 の大学の後期の出講日に当たるので、“美術労務者”を自認する私は、どうしても出席できない。相変わらず中心になっているのが、60年代の “御三家”。

針生一郎と中原佑介、長期療養中の東野芳明に代わる峯村敏明である。それに加え、かれらの息がかかる連中だ。現在の会長が、針生一郎。東野芳明も過去に務めているから、あとは、中原佑介がやがて会長になれるかどうか…。

 50周年の大きな節目を迎え、組織の存在を外部へ知らしめるイベントも、それなりに有意義かもしれない。しかし包括的に考えたというより、出たがり屋、しゃべりたがり屋のスタンドプレイ的企画より、組織としての脆弱な足場を固める意味でも、もっと地道にやるべきことがあるのではなかろうか。  
 

  その最大の懸案事項が、前回述べたことに関連する。会員証で入館できる公私立美術館が増えるどころか、減少している現在、改善策を考える方が急務ではないのか。AICAのプレスカードでもある会員証は、パリのルーブル美術館やニューヨークの近代美術館はじめ、欧米の主要美術館ならほとんど通 用して、無料入館できる。日本ではどうか。会員に美術館長が多いにもかかわらず、通 用する館がきわめて少ない。要するに日本の美術評論家は海外で歓迎されても、自国では無視されている何よりの証拠だろう。イベントのために賛助金を募るのなら、評論活動を活発化させるためにも、まず経済的負担を軽減させる方策を講じるのが先決だったのではないのか。

 

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