続・足裏庵日記(16)   ― in Toronto ―     中野 中 (美術評論家)


 私のトロントは毎日が雨だった。出かける前の東京も、滞在中のトロントも、その間に訪ねたニューヨークも、そして帰って来た東京も、ほとんど毎日が、雨、雨、雨ばかりだった。  

 だからといって、嫌な旅だったというわけではない。むしろ雨の日は大気がしっとりと喉に優しく、街路樹もしっくな彩 りに染まり、ことに夜などは明りが路面に映えて、何とはなく風情のある面持ちが、私には適って十分に楽しめた。  

 色づきはじめた並木のスコラード通りの一角にあるベケット・ファインアート・ギャラリーはその日、多くの来訪者で賑わっていた。日本から遠来の洋画家K・M氏の個展のオープニング・パーティなのだ。昼の2時から夕の5時過ぎまで客足は切れることなく、さして広くはない画廊はペチカの暖房よりも人々々の熱気で溢れていた。私は画集に執筆をした関係で招待の栄に浴していた。  
  来客のほとんどは地元の人々のようだが、遠くシカゴやニューヨーク、ボストンなどアメリカから駆け付けた人々もいた。彼らは互いに握手し、時に抱き合い、頬ずり合い、明るく楽しげに会話を交わす。画家に話しかけ、私にも声をかけてくる。そんな様子を見ていると、彼らが絵を愛し絵を楽しむことがとても日常的であることが感じられる。
 

 赤・白ワインにチーズとチョコレートくらいの実に簡単なもてなしで、何よりも主役は絵(作品)であって、酔っぱらう人はいないし、夫婦や家族連れが多く、同業者(画 家)は見えない点が日

本のパーティと決定的に違う。あくまで画家と会い絵を十分楽しみ、理解しようという趣きだ。  何よりビックリしたのは、そのパーティの間に赤丸が4、5点も付いたことだ。しかも30号、50号、80号といった大きな作品ばかりにである。はるばる東京からやってきた、トロントでは無名(とはいえ、同画廊で隔年ごとに今回は4回目の個展)の画家に数百万円を投ずる。それも嬉しそうに楽しそうに。  

  自分の家の居間のあの場所に飾って、家族みんなでこの絵を話題に楽しい時が過ごせる、と笑顔で帰っていく。  

  彼の絵は見飽きることがないんだ、といった中年の夫婦は、これが2点目の買いものだという。色がいいだろう、そしてマチエールが堅牢で何ともすばらしい。しかも構成がシンプルにして緊密だから甘くならない。それでいてポエジーがあるんだ、と評論家顔負けの弁を放ったあと、いくら語ってもこの絵の本当のすばらしさは黙って見ることだよ、と。  

 彼らにとって有名・無名も肩書きも無用なのだ。自分の審美眼にかなえさえすれば、自分の心に感じてくるものならば、彼らは躊躇しない。投機などという射倖心もさらさらなしである。  

 何とも心明るくなるパーティであった。外は早くも薄暮となって、飽きもせず雨は止むことなく降り続く。雨をさけるように木影を寄切っていったのは、リス。大きな尾を振って木の高みへ消えていった。

 

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