続・足裏庵日記(21)   ― 不 携 帯 ―  中野 中 (美術評論家)


 その瞬間、私は東海道線平塚駅にいた。改札を抜けた時、グラッと足許の揺れを感じ、地震だとすぐわかったが、それほどのものとは思わなかった。兎に角、始発の直通 列車の席を確保すべくホームへと急いだ。  
 その日、私は平塚市美術館の二つの企画展、生誕100年記念三岸節子展と芸術選奨文部大臣賞受賞記念中野嘉之展を見に出かけた。その帰りのことであった。とりあえずボックスシートの席に落ち着き、二つの個展の作品をいくつも思い浮かべ、三岸の強さと豊饒を、中野の鋭敏な感性と大きなスケールにいささか興奮気味の心を落ち着かせていた。  

 ふと気付くと車内は混み合い、外へ目をやるとホームには人があふれていた。電車は動いていないのだ。車内は音声の悪いアナウンスで地震のためしばらく運転を見合わせるとの放送が繰り返されるばかりで、序々に焦燥感に満ちて来、耐えかねた幼児の泣き声、マナー無視(も致し方ないが)の携帯電話での応答が喧(かまびす)しくなっている。状況も把握出来ないまま、私は文庫本に集中することにしたが、いずれ動くだろうから、いつになったら動くのだと不安感はどうしてもおさえきれない。  
 
  向かいは老夫婦が疲れたのか眠っている(らしい)。そのうち私の右手の若い学生さんが携帯電話をとり出し、せわし気に操作している。ふと目が合うと、彼は震源地は千葉辺りで震度は東京都区内で5前後、ほとんどすべての交通 機関が止まっている、という情報を伝えてくれた。  携帯電話でこうした情報を収集す

ることが出来るのだ。しばらくお待ち下さいをばかり繰り返している車内 放送より、余程確かな情報をキャッチできる。ずいぶん便利なものだ。そういえば飲食店でサッカー試合の経過を調べたり、帰りの電車の時刻をチェックしたり、旅先でその夜の宿を探して申し込んだり……そんな場面 に何度も遭遇しているではないか。  

  それにしても携帯電話にはどれほどの機能があるのだろう。  

 いや、私だって携帯電話は持っている。2001年9月11日のテロ事件の数日後、万一の時に連絡をとり合えるようにとの子供の発案で、私も持つようになった。以来、機器を1度も換えていないから、私のそれがどれほどの機能を持っているか知らない。いや、たとえ最新器を持ったところで十分使いこなせはしない。私にとっての携帯電話は通 話の送受と時計代りの機能だけである。いや、それさえもほぼ私は放棄している。何しろふだん出かける時に携帯していないのだ。まさに何の携帯電話か、ということになる。しかしそれで私は何ら不便もなければ何ら痛痒を感じない。  

  しかし、この日はさすがに携帯してくれば良かった。家族に連絡したくても公衆電話がすっかり少なくなって近くに見当らない。いまさら臍(ほぞ)を噛んでもはじまらない。  

 そもそも万が一は日常ではない。しかし日常のどこかで万が一は起こるのだ。日常の怠りがあっては万一の備えにはならないのだ。

 

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