折々の眼(22)  名づけて「故宮神武門事件」 ワシオ・トシヒコ(美術評論家)



              

 学術シンポジウムのパネリストとして、この秋盛大に展開された「第二回北京国際美術ビエンナーレ展」に招かれた。しかしなぜか、私がもっとも衝撃を受けたのは、中華世紀壇と中国美術館に誇らしく展示された世界各国からの招待出品や公募入選作などでない。むしろ故宮観光中で突発的に目撃した、何者かのパフォーマンスによって路上に残された無署名の路上作品だった。  

 中華世紀壇と中国美術館での華やかなオープニングセレモニーを終えた会期三日目の九月二十二日午後。バスから降り立った各国参加者一行は、それぞれが市内観光の定番コース、秋日和の故宮をそぞろ歩いていた。南端の午門から入城し、はるかな一直線を北端の神武門へと抜けるのが一般 的だ。その折もやっと神武門に辿り着き城外へ出たとたん、そこに大きな人垣が出来てワイワイガヤガヤと騒ぐ光景に遭遇した。いったい、どうしたのだろう。バックからカメラを取り出し、輪のなかへ入ろうとするが、警官らしき男が解散を命じたらしく、群れはばらけ始める。  

 路上を刮目すると、何とそこには、中国の国旗である五星紅旗の星の一つが巨きく、鮮やかに描かれているではないか。いや、描いているのではない。紙に包まれた昔懐しい短かく切断した無数の棒状の晒し飴ふうなものを精巧に配置し、型取っている。完成度が高く、美しくインパクトのある形象だ。そばの画家に訊くと、どうも一行の一人のパフォーマンスらしいといって、銀髪で

背の高い、メガネをかけてガッシリした体Yの白 人に視線を注いだ。 しかし、どうも納得がいかない。そのフォルムは、とても短時間ではできそうもない。それにこんなに無数の飴を、いったいどこで買ったのだろう。衝動的にはできない行為だ。完成度の高さから考えても、かなり計画的とみてよいのではないか。そのうち再び例の警官がやって来て、無数の飴をスコップに掻き入れて星型を壊し、どこかへ持ち去ってしまった。それでもまだ、掻き残しの飴が散在している。目ざとくそれを見つけたホームレスふうな老婆がやって来て、片っ端から持参のビニール袋へと入れ始める。私は瞬間、その飴が欲しくなった。老婆に一元札を差し出し、飴の一個をポケットへ入れる。  

  帰国後、飴の包み紙を広げ、委細に観察してみた。確かに赤地に黄色い文字で飴の名と製造所が印刷されている。中身はやはり、白い晒し飴だ。赤地に黄色の配色も、まさしく五星紅旗の星を型取るにふさわしい素材である。いったい誰が、何を目的にこのハプニン的パフォーマンスをやってのけたのか。巨きな星に、どんなメッセージを託そうとしたのか。「北京ビエンナーレ」の開催を意識してのことなのか。大中国を讃えてか。それとも、或る種のパロディなのか。謎が謎を呼ぶ。ミステリー好きな私としては、「天安門事件」ならぬ 、アートの「故宮神武門事件」と名づけたい。

 

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