折々の眼(24)  金庫よりも重い「二人静」関係 ワシオ・トシヒコ(美術評論家)



              

送られた「二人静」という時代離れの誌名にすっかり囚われてしまい、返礼を逸してしまった。本紙の編集業務にも携わる、平野杳さんの個人誌の創刊号と二号である。  私は大学が日本文学専攻で、サークルは近代文学研究会に属していた。研究者としてそのまま大学に残るか、それとも石川啄木や宮沢賢治のように田舎教師になりたいと考えていたが、とりあえず、国語教師として岩手の県北の或る新設の工業高校へ赴任する。そこで退屈まぎれに第一詩集を上梓したのが、運命の分かれ目。地元の新聞などに取り上げられてその気になり、たった一年間で帰京した。以来、現在に至るまで、読むのがなぜか評論、随筆、詩の類ばかり。小説など、ほとんど読まなくなってしまった。真実のような嘘のフィクション系より、嘘のようでも真実なノン・フィクション系に傾斜するようになったのである。だから平野さんが書いた小説といえども、なかなか読む気になれない。  小説からほとんど遠ざかりっ放しの私なのに、なぜか釘づけにされたのが、「二人静」というネーミングである。今どき珍しく、なんと雅びで、クラッシックだろうと思った。平野さんは意外にミーハーで、NHKテレビの大河ドラマ「源義経」あたりを見てインスピレーションを得たのかもしれない、と勝手に軽く想像したりもした。
 創刊号の「あとがき」に平野さんが記した本当の「二人静」の発刊動機と誌名由来とは、こうである。持病の喘息が悪化して歩行困難となり

、転院を繰り返していた。或る病院で、「何とか歩けるけれど、重いものが持てない」と彼女が嘆くと、「重いものって、金庫でも持つんですか」とそこのドクターが応じる。当意即妙なウイットにあふれるこのことばに、彼女は思わずこころが晴れる。そこで、そのようなことばの力を活かす方法として、「二人静」の発刊を立ち上げようと思ったのだという。  「二人静」とは深山に咲く花であり、夢幻能の演目の一つの名でもある。また「静」という漢字が、偏の「青」と旁の「争」で造形されることにも注目したようだ。確かに永遠や理想などを象徴する「青」と、現実生活につきものの「争」が互いに肩を寄せ合うすがたは、とても興味深い。理想と現実が合体していると感じられる時間こそ、まさしく「静」という状態を表わすのではなかろうか。なんと哲学的で、形而上的だろう。  ところが私は、誌名の由来を知る直前まで、こんなことをイメージしていたのだ。日々に追われて騒がしく、精神的余裕のまったくないこの時代、たった一人でしか読めない本はまた、作者が双方向で一人としか語れない究極の様式ではなかろうか、と。つまり作者と読者とは、この世で常に「二人静」に内面 と内面を通わせることの可能な関係なのである。それこそが現代人にとって、まさしく、金庫よりも重い大切な関係なのではなかろうか。「二人静」は時代離れでなく、新しい。

 

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