続・足裏庵日記(28)   ―  審 査  ―  中野 中 (美術評論家)


 いくつかの公募展の審査をつとめさせていただいている。つい先日、こんなことがあった。  
 
  一般入選作品の新人賞から始まり、会友、会員と進み、最終の委員になった。この会は文部科学大臣賞をはじめ、いわゆるトップ4賞は委員から選ばれるシステムになっている。1点ずつ審査員の前に運ばれてくる中に、えっ、これが委員?と疑いたくなるような作品に、賞候補として推せんする丸印の札が2、3枚上がった。思わず私は席を蹴って立ち上がり、「どこをどう見れば丸印が上がるのか。本気で真剣にもっとやるべきではないか。こんなことでは会の人々に不信感を与えるだけだし、何よりも入場料を払って見て下さる人々を裏切ることになる」と声を荒げてしまった。  そもそも審査の頭初に、下見をすませている代表から「どうにも感心しない作品が数点目についた。委員を格下げするわけにもいかず(内規にない)、本人の自覚を待っても埒はあかないし、どうしたものか」という話があったばかりである。  
 
  どの会も似たりよったりの問題を抱えていることであろう。高齢化は世間のみならず公募展にも顕著であり、加えて年功序列という論功行賞によって、そもそもそれほどの力量 を持たずとも上に昇ってしまっている。加えて加齢が体力を削ぎ意欲も退化する。これはつらいことだが誰もがやがては迎える宿命である。しかもどうやら自分の絵の出来の良し悪しが判別 出来なくなっているらしい。そんな絵に丸印が上がるのは、

後輩の審査員の情のからみがあるからだろうとの察しはつく。この辺りで大きな賞を与えて引き際をつくってあげようとの恩情なのかも知れない。 
 
  いろんな会場で、こんな絵にこんな賞が、ということがままある。それぞれ会のお家の事情なのであろうが、そんな甘いことが許される状況に公募展はいまやないのではないか。そんな愚考がまかり通 っている限り、若者の足はますます遠のいてしまうのは自明だ。  では、どうすれば良いのか。審査体制としては一人審査がベストだが、これには組織的にもまず不可能であろう。(しかし、私の数少ない経験で言えば、高知県展では洋画部・日本画部に限っては一人審査である。その恍惚と責の重さは身震いするほどであったが)。  
 
  結局は画家本人の自覚を待つしかないのか。しかしこれまた私は寡聞にして断筆宣言、もしくは引退宣言を耳にしたことはない。  画家に限らないが、創作者はことに、みずからの内に評論家を飼い育てておらねばならないのだ。みずからの内の批評性を失ったとき、制作は堕落し下降線を描くことになる。  
 
  生涯絵を描き続けてきた人から絵筆を奪うなどということは、他力では仕難いことである。それ故にみずから甘えることなく、厳しい批評眼を育てつづけ、自分のことは自分で幕引きするしかないのだろう。それは人生においても同じだ。  以上、大いに自戒の意をこめて。

 

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