続・足裏庵日記(29)   ― あゝ情けない ―  中野 中 (美術評論家)


 お恥ずかしい話だが、昨夜、自宅の階段でつまずき派手に転げ落ちて、したたかに尾袤骨を打ってしまった。しばらくは息も出来ないほどの痛みに襲われた。床に横になってもどんな姿勢でも鈍痛のために寝むれず、しらじら明けを迎えてしまった。歩くにもそぞろ歩きしか出来ず、椅子にもかけられない。幸い今日はこの稿等を書くために出かける予定はないのだが、痛みのために気持ちの集中が出来ない。そういえば、以前、高山辰雄画伯が、足の爪先を痛めただけで絵に集中できないんです、と語っていたことなどを思いだしたりしている。おまけに、コケた途端、この稿の用意していたテーマがすっとんでしまって、いまだ思い出せないでいる。ダラダラデレデレまとまりのないことになりそうだ。いや必ずそうなる。よほどお暇か哀れと思う方以外、今回はぜひともパスしていただきたい。それにしても今年最後のエッセイがこの体たらくとは、いやはや情けない。  

 我が家の階段は格別急でもなく緩やかでもなく、ごく普通の傾斜だが、ステップが13段ある。私はクリスチャンではないが、若い時から13の数字は出来るだけ避けてきた。駅ホームの、居酒屋の下足箱、傘立て、食堂のテーブルナムバー、宝くじや馬券の窓番やもちろん馬や枠番、等々。  

 にも拘らず我が家の階段が13、ついに不吉な思いが実現してしまったのだ。こうした験担ぎは大小の違いはあれ誰でも持っているものらしい。

友人は、朝家を出て最初に出会うのが女性ならば、その日一日はご機嫌だという。それを馬鹿々々しいと笑うことは簡単だが、当人にとってはお守り札のようなものなのだ。そういえば風水や占いだなどけっこう盛んだと聞く。 

 ところで今年も末月となってしまった。銀座の中央通りは11月に入るか入らぬ うちに通りの植込みにイルミネーションを灯し、百貨店やブランド店等工夫を凝らしたクリスマスツリーを飾っている。私は毎年、銀座4丁目のミキモトのツリーが好きだ。シンプルで十分に華麗だ。  

 一番の人混みは有楽町の西銀座デパートの宝くじ売場だ。いくつもの窓口にいくつもの行列が出来、そのまわりではスピーカーでP.R.を繰り返し、喧しいことこの上ない。この一隅は植込みなどがあり、スタンドの灰皿の用意もあるものだから、ここを通 るたびに私は歩を止め一服しながら、3億円を夢見て並ぶ人たちを見るともなく観察する余録に与っている。そして自分が買うか買うまいか迷う。3億円は欲しい。しかし当たったらどうしよう。(当たることを前提に使い道に悩むのだから、大いにおめでたい話ではある)まず妻と豪華客船で世界一周を楽しもう。しかし帰ってきたとたん仕事が無くなってしまっているだろう。それでは困る。いや、たくさん残ったお金で悠々自適をすれば優雅ではないか。でも趣味のない自分から仕事をとってしまっては腑抜けの日々になってしまう―とどこまで行ってもどうどう巡り。  ああ、尾袤骨が疼く。

 

topページへ
2002〜2006 essayへ