折々の眼(31)  「世界的ギャラリスト・アネリー・ジュダ逝く」 
ワシオ・トシヒコ(美術評論家)



              

 旧知の詩人佐藤文夫さんを介し、白石かずこさんから拙宅へ電話があった。彼女はいうまでもなく、日本を代表する詩人の一人であり、詩朗読のパイオニア的存在だ。  
  用向きは何かというと、その白石さんと親交のあるロンドンのアネリー・ジュダ・ファインアート・ギャラリーのオーナーで、前衛美術の世界的な女性ギャラリストとして名高いアネリー・ジュダが昨年の八月十三日、九十一歳で他界した。「ニューヨーク・タイムズ」「ザ・インデペンデント」、「ザ・ガーディアン」などが逸早く大きく報道したのに、日本ではまだどこも反応していない。何とかならないだろうか、という相談だった。海外の美術界の動向に詳しい瀬木慎一さんにまずお願いするべきだろうが、時間がとっくに経過している。そこで手渡された英文資料のコピーを基に、英語嫌いな私が何とか要約し、遅ればせながら軌跡を振り返えり、追悼したい。  
  アネリー・ジュダは第一次世界大戦がにわかに起こった一九一四年、化学者の父とファッション・デザイナーの母を両親とし、ドイツのカッセルに生まれる。初め美術史を勉強したかったけれど、ナチスの台頭でユダヤ人の願いなどかなえられるはずがなかった。そこでロンドンに渡り、歴史とデザインの学校に学ぶ。一九三九年に富豪のポール・ジュダと結婚するが、性格の不一致で別 れる。最悪の時代環境のなか、三人の子供を育てるために身を粉にして昼夜働く。共用トイレの狭いアパートで暮らしたが、子供たちの教育だけは疎かにしなかった。少しずつ幸運に導かれ始め、1960年から63年までモルトンギャラリー、六三年から六七年

までハミルトン・ギャラリーでそれぞれアートディレクターとして頭角を表わす。1967年、ついに独立。オーナーとして、アネリー・ジュダ・ファインアート・ギャラリーを立ち上げる。ディレクターからオーナー時代全体を通 し、関わった作家は綺羅星の如く眩ゆい。ロシア・アヴァンギャルド、イタリア未来派、ドイツ・ダダを初め、コソッフ、ココシュカ、カロ、モンドリアン、クリスト、ホックニー、ナッシュなど、いずれも前衛的作家ばかり。日本人にも関心を示し、篠田桃紅、舟越桂、川俣正などに手を差し伸べたことはよく知られる。いっとき東京進出を考えたこともあるらしいが、女性として日本固有の商習慣になじめず断念した。白石さんによると、常にりんとした前向きの姿勢を崩さず、階段なども大股でどんどん上がる気丈夫なタイプとか。80歳代になってもスキーを得意とし、亡くなる直前まで自ら運転、ドライブを楽しんだらしい。  
 没後の現在、経営は息子夫婦が引き継ぐ。ギャラリーは、オックスフォード・サーカス駅とボンド・ストリート駅のちょうど中間あたり、アンソニー・ドフェイとアンソニー・レイノルズ・ギャラリーに挟まれ位 置する。近くにサザビーズがあり、アートファン必見だ。

 

topページへ
2002〜2006 essayへ