折々の眼(33)  女流でなく、「女性画家協会」に  ワシオ・トシヒコ(美術評論家)



              

 美術公募団体は現在、どのくらい存在するのだろう。危機に直面しつつも、現実に解散に追い込まれた、という話をめったに聴くことがない。少子高齢化とはいえ、これからもゆるやかに増えて行くのかもしれない。  

  ところで団体全体に関わる男女の割合だが、男性優勢なのは前世紀末まで。今世紀に入ってからほとんどの会が女性全盛となっている。とはいっても、さすがに女性だけの団体は二つだけ。結成が大正初期の朱葉会と戦後まもなくスタートした女流画家協会である。会名的にいうと、いかにも女性の集団をイメージさせる朱 葉会は好ましい。 しかし女流画家協会については、以前からいくらか抵抗感があった。ことし六十一回展だったから、ちょうど区切りのよい六十五回展からは、会の英知と勇気を結集し、屈辱的な〈女流〉をかなぐり捨て、「女性画家協会」と改称して再出発すべきではなかろうか。  

  「女流画家の団結により芸術的向上を図り、また新人の登龍門としての意味を以て展覧会を計画す」。女流画家協会がこのようなマニフェストを掲げて結成されたのが、一九四六(昭和二十一)年十二月のこと。三岸節子、桂ユキ子、佐伯米子、森田元子、仲田好江、桜井浜江などの十一人の発起人は、すでに亡い。十五年戦争の敗北を機に、戦前、戦中の男性主体社会の呪縛から少しでも解き放たれるべく、男性画家たちと対等に渉り合おうとする心意気が伝わってくる。当時としては、

それなりに意義があったことは否めない。しかし、あれから半世紀以上も経つ。この辺で「女流」のそもそもの語義について、もう一度厳しく吟味する必要があるのではなかろうか。 

 昔ほどでないにせよ、画家、作家、詩人、文学といった一般名詞の上に、「女流」という語を冠する慣習がまだつづいている。それに対し、「男流」という語を冠する名詞など、歴史的に初めっからない。そういうことを考えてみても、「女流」とは、男性主体社会がつくった「男性」以外の性によるもう一つの芸術的表現者たちの流れ、というニュアンスがあることがわかる。つまりこれは、男性主体社会側の女性表現者への一種の差別 用語なのだ。女性側からすれば、明らかに男性主流の社会を強く意識し、その対抗軸として卑屈に使い、差別 に甘んじつづけてきたに等しい、といわざるを得ない。それならいっそ、そうした卑屈な姿勢からおさらばし、「男性」と正面 から向き合うべく、「女流画家協会」から、そのものズバリの「女性画家協会」へと改称し、真に平等な地平に立つべきだろう。現在の美術公募団体では、確かに数量 的には、女性が男性をリードしている。しかし制度の面では、まだ必ずしも平等になっているとはいえない。その限りで、まだ女流画家協会を存続させる意味がある。先輩たちが培ってきた歴史に敬意を払いながらも、意識改革だけは、果 敢に断行しなければならない。今こそその時期と考えるが、どうだろう。

 

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