続・足裏庵日記(34)   ― 力と責任―  中野 中 (美術評論家)


 去る8月26日、神田日勝の画業をしのぶ「馬耕忌」が、鹿追町立神田日勝記念美術館に隣接する町民ホールで開かれ、私は招待され〈日勝と自画像〉をテーマに講演した。  

  日勝には油彩による自画像が2点あり、ほかに作品中に作者(もしくは分身的存在)が登場する作品が複数ある。中でも1970年に日勝が第38回独立展に出品した遺作『室内風景』は、新聞紙を貼りめぐらせた狭い部屋の中心に男性が描かれており、不安そうな心理状態や時代背景が見事に表現された自画像的作品である。この作品にまつわる新事実が今回明らかになった、その経緯について触れておきたい。以下は決して私の手柄話でなく、活字というものの力と責任についての例証なのである。  

  扨て、神田日勝記念美術館の現在副館長の菅訓章氏とは、この館とも縁の深い画家水上泰財氏の紹介で6年前の冬に知り合った。以降、私の企画展等の応援・協力をいただき急速に親しくさせていただいている。その出会いの席で私は、『室内風景』について『日本美術』誌上の独立展評に書いている、という話をした。  
  それまで、詩人宗左近が独立展の会場で神田日勝の遺作『室内風景』に遭遇、その衝撃を総合雑誌『時代』に発表、ほどなく東京の遺作展が実現、これが日勝の対外的評価の端緒であるとされていたし、菅氏も当然そう理解していた。

 ところが、実は宗氏に独立展の『室内風景』を紹介したのは私であり、その証しに当時勤務していた『日本美術』に執筆、東京・柳屋画廊での遺作展を開いた

のは当時の私の上司であった人である、という新証言の前に、菅氏はにわかには信じ難いという顔付きであった。  

  もっともなことである。その上、私も度重なる引越しの中で掲載誌を手許に持っていなかった。  

 ところが菅氏は根気よく私の話の裏付けのため該当誌を探していたらしい。都内の美術館や国立国会図書館にも問い合わせたが所蔵されていない。しかし鹿追町図書館坂野司書の調査で、多摩美術大学図書館に該当誌が存在することが判明した。そして待望の『日本美術』1970年11月号の展評のコピーを入手したという次第である。  

 この経緯は菅氏自身の手により「十勝毎日新聞」2007年8月21日号に紹介され、独立展評は「馬耕忌」のパンフレットに『室内風景』のモノクロ作品入りで全文紹介された。  

 私はほんの数行の印象評であったように記憶していたが、独立展評のほぼ3分の1、約380字も『室内風景』1点のために費やしている。これは異例も異例、よほど衝撃的であったことであったのだ。  

 恐いような懐しいような気持ちで37年前の自分の文章を読んで、頬の火照る思いがしたが、その感動が稚拙ではあるが率直に伝わって来、あらためて20代の往時の感傷にひたったことだった。それにしても、書いたものがこうして今に生きている、何の不思議もないが、改めて文の力と責任を思うのだった。

 

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