折々の眼(37)  「朝日・銀座展」の灯を消さないで ワシオ・トシヒコ(美術評論家)



              

 銀座は今、欧米各国の有名ブランド店だらけ。まるで侵略されてしまった感がして、ムカツク。遠くは上海の共同租界、近くはバブル経済全盛時に、日本企業がニューヨークのマンハッタンに多く進出した折の光景と重なる。最近ではやたらと、エトランゼがわが者顔でカッポする姿が目につく。それ自体は大いに歓迎すべき現象だが、映る通 りの背景が必ずしも好ましいとばかりいえない。そのせいかどうかはわからないけれど、ここ一、二年のうちに銀座の画廊のいくつかがクローズする、という噂が乱れ飛んでいる。朝日アートギャラリーも、その一つという。

 朝日アートギャラリーは、JR有楽町駅、地下鉄の銀座駅に近い地の利が大いに幸いし、比較的人気のスポットになっている。何よりもギャラリストの福田まみ子さん、室町解子さん、徳富美和さんの親切な接客が評判よい。それなのに突然、クローズの予告だなんて!たまたま私が足を向けるようになったのは、「第一回朝日・銀座展」の審査員を依頼されてからだ。まだ、二年足らずの関わりにすぎない。それでもここでの個々の出会いが、かけがえのない時間をゆったりと刻んだ。  それにしても、その朝日アートギャラリーの目玉企画となりつつあった公募コンクール「朝日・銀座展」が、たった二回でジ・エンドになるなんて、予想だにしなかった。文学の世界では、同好の士が会費を捻出しあって同人雑誌を発行しても、だいたい三号を出したくらいで挫折す

るケースが多いところから、俗に“”三号雑誌”と称して見下される。それに喩えるなら「朝日・銀座展」は、″三号雑誌″にすらなり得ないで終わろうとしているわけだ。

 現場の意を汲まないままに、関係セクションをバッサリ切ってしまうのは、企業の親会社がよく決行する手法で、そう珍しいケースではない。それだけに、悔やしいではないか。欧米有名ブランドが占拠する現在の銀座にあって、人間の創造行為の手仕事の最後の砦とでもいうべき美術作品を通 し、銀座の存在を再びクローズアップさせてみたいという意義深いミッションについて、もっともっと熟慮してほしい。いや、これからでも決して遅くないのではないか。  

  朝日アートギャラリーのクローズを惜しむ声が、日に日に私の周辺から聴こえてくる。どうにかなりませんか、朝日リアルエステートさん。いやさ、朝日新聞社さん。採算を度外視する芸術文化事業による社会への還元こそ、本来の社会的公器としての大切な任務なのではなかろうか。ゆめゆめ、美術を軽視するなかれ。企業の小さなセクションの危機を守ることにより、それがやがて大きな輝かしい企業イメージとして、全体を支えることにもなりかねない。朝日というブランドは、政治や経済やスポーツのイメージより、芸術文化のイメージがもっとも似合っている。

 

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