折々の眼(38)  映画 「光州5・18」と「靖国」 ワシオ・トシヒコ(美術評論家)



              

 韓国と日本という二つの国家の政治体制の歴史的根幹に深く関わる映画を、ほぼ同時に都心で観た。一方は劇映画、もう一方はドキュメンタリーという、手法をまったく異にする型式ではあるけれど…。  

 まずは、劇映画「光州5・18」(監督キム・ジフン)だ。深緑が眩い黄金の五月の光州。どこまでもつづく田園地帯の並木路を一台のタクシーが駆け抜ける遠景。爽やかなオープニング・シーンだ。現在、四十歳以上の人々なら、世界を震撼させた「光州事件」が記憶に残るだろう。その真相とは、この映画によると、こういうものだったらしい。「らしい」と書くのは、ストイックなドキュメンタリーでなく、パセティックなヒューマンドラマだからだ。壮絶なバト ルを核に、恋あり、 血縁愛あり、友情ありで、これなら老若男女、誰だって存分に楽しめる。そうしたこと自体、どこかウソくさい。ウソくさいが、なぜかイヤミにならない。韓国で大ヒットした根拠がよくわかる。唯一の欠点をあげると、事件そのもののバックグラウンドがアイマイで、よくわからないことだろうか。記憶に刻みたいシーンがいろいろある。ラストシーンも、その一つ。「皆さん、どうか私たちの存在を忘れないでください」。市街戦で自らも一人の敵兵を殺してしまった看護士のヒロインが、人影のない一本道を救護車に乗って、叫びつづけながら遠ざかる。戦いに敗れ、たそがれる五月の光州。プロローグと見事に対応する。

 次は、ハグラカシ感覚が絶妙なドキュメンタリー映画「靖国」(監督李纓)。鋭く聡明な観客なら、この在日中国人監督の真意が理解できるだろう。菊と刀の独善的美学が及ぼした近隣アジア諸国への悪しき闇、といったものが。それを絶妙に映像的にはぐらかし、靖国派、反靖国派とも共有できる手品師のような構成にしたところが凄い。日本の近・現代史を検証する一級資料となっている。敗戦記念日近くともなると、どこからともなく靖国神社へ集まってくる漫画チックな軍服姿と号令連呼の戦争亡者たち。合祀名簿からの削除を求めて来日した台湾人遺族代表女性のりりしい眼差しのプロテスト・フェイスが何とも感動的。人間が躰を張って真実を訴える真剣な姿ほど、美しいものはない。記念追悼集会に抗議する青年に容赦なく浴びせられる「中国人は国へ帰れ」の執拗な罵声に、監督の胸の内は、いかばかりだったろう。それにしても、上映前の制服姿のガードマン(?)がスクリーンの前に仁王立ちする光景は、まるで戦前の検閲制度を彷彿とさせるようで、実に不気味だった。  

 2008年前半を飾る問題作を観て思った第一が、韓国映画人が自国の戦後時の暗黒部分を次々と白日下に晒す勇気を持ち、きわめて健全なこと。第二には、「靖国」を撮ったのがなぜ日本人監督でなく、在日中国人監督だったのかということだ。日本という国家システムの監視、管理体制に委縮してはならない。

 

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