続・足裏庵日記(40)  ― 対  決 ―  中野 中 (美術評論家)


 何本かの企画展をやらせていただいている。この欄でも何回か触れている『新世紀の顔・貌・KAO―30人の自画像』は2001年に立ち上げ、多くの画廊の協力のもとに全国5〜8ヶ所で開催、汪5年を終え、今年から期に入った。やはり5年やりたく思っている。笠井誠一先生から〈行動する評論家〉の言葉をいただき、それを励みに頑張っている。企画展にもいろいろな性格や意味があろうが、批評性というのも大事な柱だろう。  
 自分のやる企画展にはどれもこれも愛着は深いが、批評性という点では『カルマ・バッシュ―抽象の行方』と『個性派たちの〈宴〉』がある。前者は一昨年、後者は昨年、スタートさせた。  そのDMに各々次のような一文を掲げた。  

 ―抽象とは、概念的には対象の構成要素のうち或るものを他から切り離して、ひきだすこと。一般 的に絵画や彫刻においても、対象の本質的要素を選びだして描写する点において多かれ少なかれ抽象の作用が含まれるが、美術上この概念が特別 の意義をもつようになったのは、ヴォリンガーが「抽象と感情移入、1908」において芸術の根本衝動の一つとして抽象衝動をあげたことと、1910年にカンディンスキーが初めて対象的事物を描かない絵画を発表し、絵画への道の一つの極として純粋抽象を論じたことに始まる。以来、1世紀。  とまれ具象といい抽象といい、肝心なことは制作への明確なモティベーションであり、豊かなイメージ力であろう。そのことを改めて確認したく、この企てを試みてみた。─ 

 ―ホントハセイトウナノカモシレナイ―  

 

 

 人生に無駄はない。一日一日を積み上げて一年となり、一年一年を繰り返して人生となる。人生にも樹木と同じに年輪ができる。その年輪に陰翳が刻まれ、その陰翳が人それぞれの個性となる。無駄 と見えたものが実は陰翳の深浅曲直の彩りとなる。作品には個々の人生の陰翳が色濃く表れているに違いない。―  
 
  前者は抽象系作品であり後者は具象系で〈個性的〉には〈KUSEMONO〉とルビをつけて、内容を表象させた。共に100号前後1点ずつの出品で、12名と10名。構成メンバーは適宜交替も可としている点でも共通 している。  おかげ様で、我田引水的ではあるが、とりあえず多くの方々に共鳴、支持をいただいている。  
 
  両展を企画して、もう一つ、両者の中間に位置するようなグループ展をやってみたいと考えている。幸い、協力を申し出てくれる画廊もあるので何とか実現したいのだが、人選も含め、加えて私の時間的余裕の懸念もあって、直ぐにというわけにはいきそうもない、が。  他に若手3人や中堅5人などの企画、あるいは美術館主催展の企画協力という立場で、美術大学ごとの教授展、『人間を描く』等にも参画している。いずれも何回かは継続することを前提にして、一つの成果 とまではいかなくても、何らかの結果は得たい。  
 
  真に〈行動する批評家〉になりたいものである。

 

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