続・足裏庵日記(41)  ―暮 景―  中野 中 (美術評論家)


 サブプライムローン問題に端を発したアメリカの金融危機は、世界的不況を巻き起こし、日本もまさに青息吐息の状況を呈している。麻生内閣は何ら有効な政策を打ち出せず、国民みんなに定額給付と称して1人1万2千円ずつ配るんだという。そんなことで何が解決するのだろうか。大体、国庫にそんな金があるのなら、まとめてもっと効果的な使い方がないのだろうか。かつての竹下内閣の1億円総バラマキと同等、いやそれ以上の愚策でしかあるまい。麻生の失言も繰り返され、その口許の歪みはますます度を増してきた。早くも末期状態で、三たび総選挙なしの引退もあり得そうだ。

 私個人にとって、ことし1番のショックは、区役所から介護保険の〈前期高齢者〉の指定通 知が来たことだ。 覚悟していたことだが、公共機関からの通告は何とも不愉快で、さすがにオポチュニストの私で も落ちこまざるを得なかった。

 その上、添付書類の細かい文言が読みづらい上に理解に難く、途中で投げ出してしまった。高齢者と呼ばれるのも肯なるかなと思った次第だが、それならそれで健康な目と柔軟な頭脳を要求しないで欲しいものだ。  高齢者と決めつけながら小さくて難解な文言の理解を求めることに大いなる矛盾と錯誤がある。

 相変わらず銀座歩きは欠かせないのだが、私もついに前期高齢者になってしまったせいか、ずいぶんと疲れ易くなってしまった。たくさんの展覧会の案内をいただきながら、そのすべてどころか半分も見て歩けない週もある。DMを前に歩くコース等々で絞り込んでしまっている自分にもガッカリしている。

 それでも暮の銀座を歩く。いまや美術の現況は銀座だけではとても把握できないし、若者や新しい傾向の仕事の発表はむしろ銀座からは遠去かっている。どちらかといえば銀座は保守的になっていよう。しかし保守はそこから新しい眼をも育むのであって、過去や伝統との断絶の上に新規があるわけではなかろう。

 理屈はさておき、半ば習性で歩いている。それで良いではないか。一つでもおもしろいもの、興味を惹くものに出会ったら儲けものなのだ。どんな作品にだって何かは感じられ、得るものはあるのだから。

 いずれにしろ銀座にも不況の風は明らかで、大通りをグループで席捲していた東アジアからの観光客も極端に減少し、道往く人も元気なのは若いアベックばかりで、急な冬の到来に襟を立て肩をすぼめて、その歩みも心なしか元気がない。昨春骨折した私の左足首も日の暮れ近くなると重くなる。つい先日まで歩道に長い行列をつくっていたスウェーデンのH&Mもその賑いを失し、ひたすらかまびすしいのはクリスマス景気を願う音曲ばかりで、木立ちのイルミネーションも寒風に哀し気に映る。

 画廊に入って暖をとるも景気の悪さにお互いに気も上がらず黙しがち。勇を鼓して話をふっても途切れがち。ことしの暮は孤愁に満ちている。誰もが来年は、と願っても、所詮、明日は今日の続きでしかない。

 

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