続・足裏庵日記(42)  ―春 景―  中野 中 (美術評論家)


 あらたまの年立ちかえっても、少しも何も変わらない。旧年来の不況はぶ厚く世間を覆い、好天には恵まれたが吹く風はことのほか冷たい。新聞もテレビのニュースも不景気な話ばかり、相も変わらぬ お笑いヴァラエティにあげる笑いも虚ろに響くばかり。炬燵で古女房と差し向かいで、ただただみかんの皮を向くばかり。酒もひかえめ、好きな雑煮に箸も伸びず、これが世間の風なのか我の老いなのか、その見当もつかぬ まま。そも正月だからと、ありもしないことを望み求める気などさらさらなく、

 睡眠のうちに新たな年に成り (柳多留)  

 の通りで、それでも重い腰をあげて近くの神社へのお詣りだけは女房と行ったが、2日の故か境内も閑散としたものだった。

 正月と言えど所詮、

 年立つやもとの愚がまた愚にかへる 一茶

 でしかないのだろう。

 あまりのぐうたらぶりもそれまでと新年早々の〆切り原稿を何とかこなし、七種がゆに気も新た、8日からことしの外出初め。いきなりパーティの梯子となり、翌日からも会う人ごとに新年会の繰り返し、まさに元の愚にかえり、それが日常のオレのペースとばかり調子もあがるのだから、何をか況やである。

 それにしてもこの春ほど寄るとさわると政治談義の多いのも珍しい。1万2千円の給付金の話題から子供や知人のリストラ問題、挙句は不況ゆえに家族間のギクシャクや人身事故(自殺)でまた列車が止まった等々結局は愚痴話しが留まらない。そんな話も栓無いからと美術界の話題にふっても、いつの間にか麻生政権への罵詈雑言、しかし彼を選んだのも結局我々であることを思えば、その雑言は己の身に降りかかってくる。

 何よりも自分たち一人ひとりが、気力もなく、アメリカはオバマ氏の〈Yes,We Can〉に期待する、というよりも凭りかかるばかり。しかもこのキャッチ・コピーばかりが一人歩きして、それにすがる我々は何の覚悟も展望も勇気さえない。

 そのオバマ氏の20分間の就任演説を深夜テレビで見た。内容はまったくわからなかったが沈着冷静さが、ひたすら熱狂ふっとうの参集した国民と対照的だった。2日後、新聞掲載 の対訳を読んで、 現実への怜悧な眼差しと責任感をつくづくと感じた。何よりも言葉に力があった。  人間どもの一喜一憂にかかわらず、異常気象や環境破壊の言われるなか、枯れ木の枝先に蕾をつけ春を待つ準備におさおさ怠りない。玄関を出ると隣家のろうばいの香りが漂い、我が家の水仙も負けじと花を咲かせている。その馥郁たる香り、清楚で気品ある佇いに私も襟を正して生きねばならぬ と心引き締める。

 臘梅の咲きうつむくを勢 ひとす  皆吉爽雨  

 しらしらと障子をとほす

 冬の日や室に人なく臘梅の花   窪田空穂    

 水仙の花のうしろの蕾かな    星野立子

 少年ら受験に痩する教場に水仙の花白く目に立つ    馬場あき子

 私の一句も並べたい…。

 

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