折々の眼(42)  評論家、ときどき詩人  ワシオ・トシヒコ(美術評論家)



              

 新・日本現代詩文庫の一冊として、土曜美術社出版販売から『ワシオ・トシヒコ詩集』が刊行されたのが、一昨年の秋のこと。初版、一〇〇〇部。ちょうどその一年後に、四〇〇部を再版する。たったそれだけの部数か、とあきれはてる読者が多いかもしれない。しかし現実には、都合一四〇〇部は、現代詩の世界では、ちょっとしたホットニュースなのである。通 常五〜六〇〇部が、せいぜいなのだから。こうなったのも、美術評論家が詩集を上梓したことへの一般 的好奇心、それに、詩集を瓦礫の山のように積んだインスタレーション個展に始まり、各地で展開した自作詩朗読ライブの一定の成果 に預かることが大きいに違いない。

 そろそろ本業の美術評論に専念しなければと考えていた矢先の昨年十二月、月刊「ギャラリー」編集長の本多隆彦さんから、「オールカラー化する新年号から一年間、詩の連載をしませんか」という、とても信じ難い電話の声が飛び込んできた。突然の誘いに真意が解せないところがあったけれど、書き下ろしは無理としても、『ワシオ・トシヒコ詩集』からの転載ならと快諾した。それにしても、こんな先行き不透明な時代の美術情報誌に詩とは、なんという英断だろう。

 見開き二ページの連載タイトルが、ずばり〈ワシオ・トシヒコの起詩回生〉。社会全体の人と人とのつながりの場で、本来のことばの力を喪ないつつある現在、ことばの復権を意図としての企画だ。詩とタイアップする平面 絵画の図版は毎月、岡野浩二の完全抽象作品から選ばせてもらっている。互いの作品から生ずる解釈的関連をできるだけ排除し、高い次元でメンタルな調和を図ることができればというのが、私の狙いである。

 この連載の誌面全体で果たす役割は、決して小さくない。詩の行分けという形式上から、他ページよりもホワイトスペースが際立ち、余韻に溢れるピュアな印象を鮮明に与える。それに、文字に内在する意味の幅を確認しつつ読むということは、とりもなおさず、ことばの持つ力の復権にもつながる。また私としては、詩と画のコラボレーションについては、強く時間の移行を意識している。詩は主題で、画は色彩 で、できるだけ季節感を表出しようと思っている。

 どうぞ皆さん、書店に立ち寄ったら手に取って見てください。本多編集長の立場になると、ぜひ買い上げて欲しいと密かに願っているでしょうが。アメリカ発の世界的不況で、どこの紙メディアも苦境に陥っている。美術雑誌の低滞が、やがて業界全体の低滞につながるとすれば、何とか打開策を求めなければならない。三月には、埼玉 県飯能市の小さな会場で、いつもの自作詩朗読ライブが行われる。当分、「評論家、ときどき詩人」で通 すしかないのかもしれない。この肩書、けっこう私は気に入っている。仕事の着想の幅を広げたり、柔軟にするからだ。

 

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