折々の眼(45)  アートサポート SOS  ワシオ・トシヒコ(美術評論家)



              

 甲子園の高校野球が終わると、日照時間がだんだん短くなり、まるで世界全体が洞窟に入って行くみたいで、憂うつになる。こうした気分に落ち込むようになったのは、五十歳代後半頃からだろうか。ここ数年、その傾向がますます酷くなっている。

 更に追い打ちをかけるのが、或る大学の後期授業への出講だ。十四年前に電話一本で懇願され、イヤイヤ引き受けた仕事である。最初は、無我夢中だった。それがマンネリ化し、やがて逃げ出したくなっていた。しかし受講生が、常時二〇〇人を越える人気科目となっていたので、簡単に辞められず、ズルズル引きずった。週一回の出講のために、予習しなければならない。せっかくの ″美術の秋″の仕事を断わらなければならないケースも生じた。本業を疎かにし、パートに精を出さなければならない効率の悪さ。そこでこの夏、ようやく意を決し、講師の口をついに返上した。きれいサッパリ、ヤレヤレである。

 これからは、本業に集中できる。ぜひ実現させたいのが、以前から念願だった「アートサポートSOS」構想だ。これまで私は、新人の発掘と紹介、異色物故作家の再評価、展覧会の展示構成を活動の軸に据え、微力ながらも意識を傾注してきた。振り返ってみると、どれもこれもが期せずして、アートをサポートする営為であるのに気づく。ただ異なるのは、先方の働きかけなしで、こちらから主体的に関わったことだろうか。

 

 今度はSOSを傍受してから駆けつけ、手助けしようとする。アートについて悩んだり、困っていることがあれば、どんな立場の老若男女であれ、いつ、どこへでも歓んで出向き、アドバイスなり、サポートしようというわけだ。ビジネスそのものにしたくないから、あらかじめ代価は設定しない。できれば依頼者本位のお布施というか、謝礼というスタイルにしたい。私一人で対処できない問題の場合、しかるべき人材を紹介する。

 このようにパソコンやインターネットに依存しない、昔ながらのアナログ(手作り)的発想の「アートサポートSOS」だから、多くは期待できないだろう。それでもせいぜいアンテナを高く掲げ、どんなSOSが飛び込んでくるのか興味津々、気長に楽しむつもり。意識を常に外へ開き、人助けをしつづけることが、とかくメランコリックになりがちな自分のこころの健康を助けることにつながると信じている。

 なんということはない、この「アートサポートSOS」は、私の身心の延命策なのだ。引き籠り老人にならず、生涯 ″雑草的美術評論家″として手足を動かしつつ、病院のベットでなく、空や樹々に囲まれた球体状の真っ只中で、バッタリとコト切れたい。俗世間の大人になりきれない少年の愚直さのままに。これは、夢なのかもしれない。もしかしたら「アートサポートSOS」を発信したいのは、私自身の方なのかも。あなたとつながるために。

 

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