続・足裏庵日記(46)  ―情 実―  中野 中 (美術評論家)


 「では、挙手をお願いします。……


 ハイ、圧倒的多数で○○賞に決定しました。」


 拍手。


 手を挙げなかった私は、「マジかよ」と胸の内でつぶやく。「本当にこれでいいのかよ。会の重要な賞だっていうのに…」


 内心、予測できぬことではなかった。しかし私には、圧倒的多数ということが、思いの外であったのだ。


 公募展の審査をやっていると、こうしたことはままあることだ。会としての事情があることはわかるし、情実という言葉の美しさも理解しているつもりだ。しかし、雪崩をうつように手が挙がって良いものだろうか。ゆずってもせめてギリギリが妥当だというのは私の甘い観測だったのだ。だが圧倒的とギリギリでは、結果は同じでも意味は違う。授賞者も素直に喜べるのだろうか。


 上位賞には真の意味での厳選が求められるはずで、緩線は将来的に会の質的低下を招き、寿命をも縮めかねない。


 情実や内部事情が横行してしまうことの一因に、賞の性格がアイマイなことがあろう。賞のアイマイさが功労的な選択を招いてしまっていることもあろう。功労者対象の賞への授賞が明確ならば、作品のみの厳選もやり易くなるのではないか。

 一方で、毎年毎回、その賞にふさわしい秀作佳作が出てくるのか、という危惧もある。内部の賞ならば、勇気をふるって〈該当作無シ〉の見識を示すことは可能であったとしても、行政機関等からいただいている外部からの賞の場合、該当作無シとは言い難い。先方にそんな報告をしたら、「そんなレベルの会なのか」「うちの賞は要らないんじゃないの」などと言われかねない。国や都からの賞は謂わば会にとっての公からのお墨付きのようなもので、これの有無は一般出品者への価値感、あるいは信用度に拘わってくるであろうから、無シにするわけにはいかないのだ。


 悩ましい問題である。
 どうしたら良いか。


 まず、大概はいろいろな賞を重ねて、キャリアを積んだベテランの人が対象になっている例が多い。これをバリア・フリーにしたら如何であろう。ベテラン、中堅、あるいは新人は年ごとに当りハズレがあるので、数年その力を見極める必要はあるだろうが、純粋に作品の出来だけでの採点制にしたら如何だろうか。最終選考に残った作品を、例えば構成・色彩・造形、あるいは発想や視点などの項目を立て、その集計で判定する。それでも情実は廃除できないだろう。あるいは記名にしても情実が皆無とはなり得ないだろう。でも抑制力はいくらかでも働くのではないか。それでもダメなら何をか况んやである。


 仲良しクラブでやったらいいだろう。


 私は、情実を全的否定しているわけではない。新人やキャリアの浅い人が時に急速に伸びるときがある。そんな作品には間髪を入れず、思い切った賞を与え、やる気、伸びる才能に棹さしてやるべきだ。臨機応変が求められているのだ。

 

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