続・足裏庵日記(49)  ―カレー―  中野 中 (美術評論家)


 国民的嗜好食といえば、子供も大人もカレーとラーメンが双璧であろう。インスタントの種類も店舗も多い。その上、手間要らずで素早く食べれるので便利この上ない。私も簡単に済まそうという時にはよく食する。簡便なのである。


 しかし、味となると千差万別、店ごとに、作る人ごとに違う。また、嘘のように廉価な値段から、驚くほど高価なものまで様々だ。


 私はグルメでもなく、凝り性でもなく、味音痴かと疑われるほど淡泊で、味覚に関する蘊蓄なる御高説にはただただ頭が下がるばかりである。


 ところで思い出となると断然カレーの方が多いのではなかろうか。そして漬けものやみそ汁と同様、そのルーツはおふくろの味に勝るものはないところに落ちつく。中村屋や資生堂パーラー、帝国ホテルの高級なカレーから、立喰いのカレーまで私の乏しい食体験でも、やはりおふくろの味に戻っていく。それは幼少のころの馴染んだ味というだけでなく、カレーにまつわる物語性の故ではないかと思う。


 敗戦後の日本全体が未だ貧しい時の、超弩級の贅沢は何といってもすきやきであったが、これは年にほんの数回でしかあり得なかった。それに比べればカレーライスはいくらかは日常的だったか。それでも大変なご馳走であって、生卵がカレーの上にのるなどは極上であった。何しろ鶏卵はとても高級品で、お見舞いには病人の滋養で一番だったし、我家では裏庭で飼っていた二羽の鶏の産む卵を当てにしていたくらいだったのだ。勿論、肉はビーフはあり得ず、ポークかチキンだった。

 あれは私が小学校2、3年生のころの事だった。夏休みに母に連れられて志賀高原へ日帰りで出かけた。父は店を休むわけにいかず同行しなかったが、それまで遠出といえば、親戚の不幸か何かくらいであったからその喜び、楽しみは大変なものだったろうと思うが、出先で起きた事件のショックのせいか、前後の事状はほとんど記憶がない。


 志賀高原熊の湯まで行って、そこでボートに乗ろうということになった。その前の昼食に兄弟3人迷わずカレーライスを注文したのだが、出て来たカレーライスにがっかりした。母の味に及びもつかないどころか、カレーが少量でその上薄く、カレーの下のご飯粒がハッキリ見えるし、しかも肉片は探してやっと見つかる程度。それでも母に気付かって美味そうに食べる気遣いくらいは子供心にもあった。


 そしてボート遊びとなった。母子連れのためにボート漕ぎのアルバイト学生がいて、その彼に頼んだのだが、どういう事情だったか、子供は降り、母と彼の二人がボートに残ってしまった。母は若く、自慢の美しい人であった。実際はわずかの時間であったのだろうが、岸辺に残された僕は気が気でなく、イライラしていた。


 熊の湯から丸池までの帰り道、片時も母の手を離さず固く握りしめていた自分の姿は未だ明晰に思い出す。これが私のささやかなカレーのビッグストーリーにして、初嫉妬体験であった。

 

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