折々の眼(53)  大阪の夜は更けて 

  ワシオ・トシヒコ(美術評論家)



              

 新幹線という超特急が矢のように突っ走るようになってから、旅が旅でなくなり、すっかりビジネス化してしまった。どこへ行くにも日帰りが当たり前、めったに宿泊などしない。

 過日、大阪府立現代美術センターで開かれた「石津豊子展」に招かれた。いつものようにトンボ返えりするつもりだったけれど、宴会後の帰京時間が危ういということで、久々に一泊することにした。私は一九八四年から数年間、恒例の「脇田和、野見山暁治、宮崎進展」のカタログに序文を執筆していて、それを企画開催する杏美画廊(新宿)へ出入りしていた一人が、石津さんだった。彼女が当時から絵を描いていると知ったのは、ずっとあとになってからである。

 今回、頼まれて「電球フォルムから、不定形の内的宇宙へ。石津豊子の絵筆が渾沌として熱くなってきた」とDMに書いた。画面づくりの試行錯誤が実に正直で、難しいフォルム、カラー、マティエールの三位一体のスリリングな融和をめざす悪戦苦闘ぶりに、好感が抱けた。それを周辺で暖かく見守ろうと宴に駆けつけた上野建三、北野隆祥、夏目陽子などといった〈関西国展〉の皆さんがまた、なかなか個性的で、頼もしく思えた。

とかく首都圏を中心に仕事をしていると、つい、こうした各地の画家の存在を見落としがちになる。芸術文化の一極集中を何とかしなければ、とつくづく考えさせられた。こうした観点からだけいうと、大阪都、名古屋都構想が浮上する必然性も、決してわからなくはない。但し仄聞するところによると、大阪府の橋下知事は、必ずしも芸術文化の強力な推進者ではなさそうなので、ゆめゆめ油断はできない。
 

 

 宴会後に数人で、夜の大阪をさまよった。大阪名物といえば、なんといっても蛸焼。そこで大阪駅の地下街の立売り蛸焼屋へ行ったのだが列をなしていたので諦め、替わりに、明石焼の店のカウンターへ並んで掛けた。一行の多納三勢さんがいつの間にか消えたので、どうしたのかと案じていたら、やがて戻ってきた。これを一緒につまみましょうと、おもむろに目の前へ広げたのが、さっき買い損ねた蛸焼。店員さんにここで食べてよいかと尋ねたら、やんわり拒絶される。それは、そうでしょう。他店で今買ってきたばかりの蛸焼を、同種の明石焼の店で食べようとするわけだから。そんなことを平気で頼めるなんて、いかにも大阪らしいではないか。もう一人のマフラーがよく似合う姫野芳房さんはみちみち、自分の入る墓をやっと造った。これからは安心して、制作に専念できると強調、頻りに私にも奨める。こんな人間くさい人間たちが集う〈関西国展〉の前途に幸いあれ、と願わずにいられない。


 初めて食べた明石焼、どうかって?舌が焼けそうなくらいアツアツ。タレに入れないで、ちょっとさまして食べても、結構イケル。


 その夜のホテルの窓の月が、なぜか笑っているように見えた。

 

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