続・足裏庵日記(55)  ―白 木 谷 ―  中野 中 (美術評論家)


 ゴールデンウィークの最中、高知へ行ってきた。昨年のNHK大河ドラマの龍馬や漫画「JIN―仁」のテレビドラマ化などの好評をうけて、土佐の高知はいま観光スポットとして人気を博しているとか、機内は若いカップルや中高年のグループ等で満員の盛況であった。龍馬高知空港から市内へ向かう人々とは別に、私は高知市から北の山間部、白木谷が目的地である。午前中に降っていた雨が上がり、白雲の流れる青空から南国のまばゆい陽光が降り注いでいた。


 バスも通わぬ山道沿いに忽然といった趣きで現れるのが〈白木谷国際現代美術館〉で、開館3周年を迎え、野外展示場211・35mの全遊歩道完成の披露目と、記念企画として鋼鉄アーティストのクマさんこと篠原勝之と館主の造形作家・武内光仁の2人展が開催され、そのレセプションに招かれたという次第。


 といって、〈白木谷国際現代美術館〉の名はそれほど馴染みある存在にはなっていないが、その魅力あふれる独自性は未知なる可能性を秘めて、確かな存在感を示している。魅力のすべては館主の個性によっているわけだが、構想10余年、展示面積はほぼ200坪、すべて手造りによっている。


 館内に入り重厚な木造扉を押し開けると展示場へのアプローチとなる。このアプローチが偉観かつ異観で、その奥に続く展示室の巨大作品ともども、直に眼と体で感じるしかない。ぜひ土佐めぐりの序にでも機会をつくって体感していただきたい。

 さて、館主武内光仁氏は10代にして濱口富治ひきいる高知アバンギャルドに出会い、血をたぎらせてまっしぐらに制作に邁進するが、止むなき事情で制作活動を中止。10年ほどの空白を経た1997年、50歳で制作に復帰するや憑かれたように猛進。東京・銀座で初の個展に続き、その後5年連続して東京で大型個展を開催、その精力的な活動と成果を評価され、伊東市(静岡県)の池田20世紀美術館での3か月にわたる大個展。それに偶々立ち寄った石原都知事の目にとまり、新宿の都庁でその一部『青の基地』を披露することにもなった。一方、これら作家活動と併行して美術館建設が進められてきた。


 氏の作品を特徴づけるのは、タブロー(平面)も立体も空間を埋め尽くすかのように押印される掌紋にある。掌紋は生きてきた印(跡)であり、いま生きて在ることの証である。つまり個人史(人生)はすべて掌の相となり指(紋)は個そのものである。生きとし生ける者すべてに固有する。この掌紋の押印された作品群の題名をいくつか拾ってみると、『花も咲かず実もならず耐えて出番を待ちわびて』とか『様々な出会い、そして別れ、時が刻まれるままに』『どんな苦しみも悲しみも・たかが一夜の夢よ』などいささか演歌っぽくはあるが、氏の人生航路をよく表象している。


 オスカー・ワイルドの言にならって我流にすれば、〈芸術は人生を模倣する〉。人生そのものが作品となって表現される。その生の面白さが白木谷にある。

 

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