折々の眼(58)  南京で観た「清明上河図」 

  ワシオ・トシヒコ(美術評論家)



              

 日中国交正常化四〇周年と東京国立博物館一四〇周年を記念する特別展「北京故宮博物院二〇〇選」が、東博の平成館で賑々しく開催中だ。入館待ち、約一時間前後。目玉の風俗図巻「清明上河図」を鑑賞するには、更に(!)長蛇の列に並び、時間を空しくしなければならない。初日に私もようやく入館し、他の展示品をざっと眺めてから、「清明上河図」を観ようと行列の最後尾に付く。待機すること、再び一時間余り。さすがの私も業を煮やし、列から離脱。這々の体で、帰宅した 。

 昨今のPR戦術の人心への煽りが、尋常でない。かなり、巧妙化している。〈神品〉の冠詞をつけ、〈中国が世界に誇る至宝、ついに国外〉と謳う「清明上河図」。〈神品〉はともかくとして、〈ついに国外へ〉は、ちょっと注釈をつけたくなる。北京の故宮博物院所蔵「清明上河図」が真本であることに絶対的価値を置くと、確かに謳い文句に偽りがないだろう。しかしながら仄聞するところによれば、作者とされる北宋の張択端が描いたものが台北の故宮博物院にあり、模本の類ならアメリカやカナダにもあり、日本にすらあると訊く。けっこう、複雑だ。なぜ今回、私が早々に観たかったのか。実は昔、南京で観た記憶が甦り、懐しく思ったからである。もちろん、それは模本だったのだろうが。

 

 二十二年前の一九九〇(平成二)年、十一月二十五日。南京博物院で、私は「清明上河図」を特別に拝観する機会に恵まれたのだ。美術評論家連盟では当時、日中文化交流協会を仲介に、中国美術家協会と相互交流を行ない、その第三回の代表団に私も加えられた。メンバーは鈴木進氏を団長とし、田中穣、海上雅臣、島田康寛。大塚雄三の各氏と私の六名。鈴木、田中の両氏はすでに亡い。一行は、十一月十六日に出発。北京、蘇州、上海を歴訪し、現地の美術関係社や画家たちと交歓、二十九日に帰国した。連日ハードなスケジュールだったけれど、各地で心温まる歓迎を受けた。中国にはまだ画廊らしきものが無かった時代だっただけに、今日の隆盛ぶりは、とても信じ難いことだ。寒かったから、ほとんど室内でもコート姿で通した。見てくれより実質を優先させるお国柄なので、とても助かった。

 「清明上河図」との出会いは、一般展示室ではなく、院長室の机上だった。メンバーの面々は、口にハンケチを当て“神品”に息がかからないよう、十分に留意して凝視した。図巻上で次々と展観される、街並みと人々の暮らしぶり。細密精緻なその迫真描写に、ただただ息を呑み込むばかりだった。建築物などは、定規やコンパスを用いる界画という手法を駆使している。外観パースの役割を果たしているのが鮮明に記憶に残る。それこそがまた、山水画を主とした宋元画が、後世へと伝来される要因の一つになったのではなかろうか。

 改めて、北京の故宮博物院の「清明上河図」を観に行かなければならない。やれやれだ。

 

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