続・足裏庵日記(59)  ― 写 実 ―  中野 中 (美術評論家)


 つれづれなるままに『徒然草』ではなく、『源氏物語』を数十年ぶりに読み返していたところ、美術論とでもいえる部分に出合った。歌合せや貝合せのことは知っていたが、〈絵合せ〉があることは知らなかった。
 平安の雅の世界では、天皇や貴族みずからが絵を描き、絵師たちと絵を比べていた。絵画をコレクションするが自分では描かない西洋の王族、貴族にはないことである。さらに、貴族階級に限らず、絵に対する関心と情熱は追い追い下々にも伝播して、今や世をあげての絵画ブームを呈し、面白い紙絵を集めることが流行した、とまで書かれている。まったく驚いた。
 「絵合せ」の巻の物語はこうである。年若い冷泉帝には二人の女御がいた。絵好きの帝の寵愛を受けようと梅壷と引徽殿の両女御から絵師たちの描いた物語絵が出されたが甲乙がつかず、最後に梅壷側が光源氏その人が描いた絵を出したところ、両サイドから称賛の声があがってようやく決着がついたのである。
 その絵は、源氏と須磨の悲しい結びつきとなった須磨を舞台として、海のある自然を背景に、家があり人物たちの様子が巧みに描かれており、単に水墨画や絵巻物的な描写ではなく、迫真性をもっていた、という。
 また「帚木」の巻の、源氏が17才のときのある雨夜に、友人たちと女性体験を語り合う〈雨夜の品定め〉として名高い中に、絵画についての左馬頭の話が紹介されている。

 ―未踏の蓬拉の山、荒海を泳ぐ猛々しい魚の姿、唐国に棲むという恐しい獣のかたち、あるいは目に見えぬ鬼の形相などといった、大げさな仮想物が対照でしたら、空想を逞ましゅうして、いやが上にも人目を驚かすように描きさえすれば、実際とは似て非であってもそれで通ってしまうでしょう。ところが、より至難なのは、普通ありきたりの山のたたずまい、水の流れ、親しみ馴れた住居の様子などの、いわゆる身辺の写実にあるのです。(以下略、舟橋聖一訳。傍点筆者)
 ここには、唐来の絵や、それを真似する日本人の絵に対する批判がある。美術史的には、唐絵に対するやまと絵の成立への過渡期であろう。
 先の光源氏の須磨の絵にしろ、右の左馬頭の論にしろ、何の証拠もない。紫式部のまったくの創作であるかも知れぬ。が肝心なのは紫式部が開陳する美意識である。殊にも傍点を付した部分、「より至難なのは…身辺の写実」にある、ということである。
 今の世でも、写実は本当はむずかしい。描写の基本はデッサンにあり、初心者は風景であれ静物であれ写実から入る。それは対象物をちゃんと見てちゃんと写すということだ。これをいくら進めても技術が進むだけで、表現とはまったく乖離したところへ行ってしまう。
 写実を表現とするには、描き手の哲学が問われる。誰もが日常身辺にあるモノを描くには、描き手の視点を明確に持たなければ、対象の真に迫れない。
 あらためて紫式部の美意識に敬礼である。

 

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