続・足裏庵日記(61)  ― T A O ―  中野 中 (美術評論家)


とある不案内な町に降り立って、最寄りの交番で目的地への道を訪ねた。おまわりさんは口頭で、こちらの方向へ真っ直ぐ進んでいくつめの角を左へ曲がってしばらく行くと駄菓子屋があるそこを右へ折れて…と淀みなく案内してくれたが、距離感がつかめない。そこで「歩いて行けますか?」と問うたところ、返ってきた応えは、「ええ、道は続いていますから。」
 道は続いていますから。何とすばらしい応えであろうか。確かに道は続いているからこそ、私はいまここにいる。
 ここまで私はどんな道を歩いて来たのだろうか。そしてこれからどんな道を歩くのだろうか。過ぎてきた道を思い返し、これからの未知に思いを致す。そして今をひたすら生きる。もう後戻りは出来ない。残り少ないエネルギーを燃やし尽くすまでひたすら足掻くのみなのだ。
 この6月、新しい企画展を立ち上げた。〈TAO―それぞれの道〉展は12人構成で各100号大一点の競作で、5回5年間の予定でのスタート。その立ち上げ展のDMに私は次の一文を草した。
 ―生きにくい時代である。昨年の3・11以降、すべての価値観は揺らぎ、見直しが迫られている。そんな中で今をいかに生きるのか。絵画に何が可能なのか。
 今はまたたく間に過ぎ去り、明日は見えにくい。今をいかに生きるか。今を生きる自分をいかに表現するか。そのことに常に格闘を続けてきた。そして今も己との格闘は止まない。その日々がそれぞれの道となり人生となる。

 〈TAO〉は、中国語で狭義では「道」を意味し、欧米では老子の思想をさし、「宇宙の森羅万象に行きわたり、われわれの認識できる能力を超えたもっとはるかに大きなもの」の意という。
 はるかに大きなもの、を求めて〈今〉を生きたい。
 日々の歩みの連続と積み重ねが道となり、出遇いと別れが旅にも似て、人生と重なっていく。
 旅は、ゲーテが『イタリア紀行』で看破したように、自分が持っていたもの(精神)を持ち帰るに過ぎないが、それでも意外なものに遭遇して、自身のうちに隠れていたもの(精神)が新しく洗い出されてくることもある。
 誰もが大なり小なり体感していることであろうが、この〈TAO〉展がそれぞれにとっての旅(人生)の一場となってくれることを願っての企画である。
 話は飛ぶが、インドには古来、一生を「学生」(がくしょう)、「家住」(かじゅう)、「林住」(りんじゅう)、「遊行」(ゆぎょう)の4期に分ける考え方があるという。
 「林住」期は、自分とは何なのか、人間とは何なのか、自分の歩んできた道をふり返り、自己の内面と向き合う時期だという。この区分けだと、さしずめ私はこの「林住」期に当たる。世代も歩みも個々それぞれの12人の仲間と土俵を一つにする5年間に、私はどれだけ自分の内深くに辿りつくことが出来るだろうか。老いてますます人生が楽しくなってくる。

 

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