折々の眼(62)  「ターバン」から 「真珠の耳飾り」へ 

  ワシオ・トシヒコ(美術評論家)



              

 暑い、暑い。この暑さは尋常ではない。東日本大震災の仮設住宅住まいの高齢者の身には、さぞやこたえることだろう。
 夏の上野の森は、オランダのフェルメール(一六三二―一六七五)の二人の真珠の少女でフィーバーし、暑い日々を更に熱くした。国立西洋美術館の「ベルリン国立美術館展」の「真珠の首飾りの少女」と、東京都美術館の「マウリッツ美術館展」の「真珠の耳飾りの少女」である。タイトル的にいうと、ベルリン国立美術館蔵の「真珠の首飾りの少女」は、昔から馴染みのネーミング。マウリッツ美術館蔵の方は、これまで「青いターバンの少女」として親しまれてきた。ところが数年前、アメリカで開催された「フェルメール展」から、なぜか「真珠の耳飾りの少女」に統一された。さすがは、金本位主義帝国のアメリカだ。「ターバン」より「真珠の耳飾り」で収益を上げよう、と計算したのかもしれない。事実、「ターバン」が「真珠の耳飾り」となった東京都美術館にも、連日、女性の長蛇の列が絶えなかった。
 それにしても、不思議といえば不思議。造形的には、色彩と形態からいっても、青いターバンの占める面積が広く、ストレートに快く視覚を刺激する。耳飾りもなかなか魅力的だが、全体のなかでは、決して目立たない。もっとも厄介なのが、「真珠の首飾りの少女」という酷似した画題の作品があること。紛らわしいので、できれば避けたいところ。

 

あえて「青いターバンの少女」を、「真珠の耳飾りの少女」とする根拠が、いったいどこにあったのだろうか。どうやらタイトルは、時代や一定の勢力次第で、どうにでもなるらしい。もしかしたら、「青いターバンの少女」が「真珠の耳飾りの少女」へネーミング統一されたのは、ターバンがインド人やイスラム教徒などが着用するイメージからの脱却を図りたいと願うアメリカの政治的工作によるのではなかろうか。ということは、国際情勢如何でまた、「青いターバンの少女」に戻る可能性もあり得るということなのかもしれない。
 画家にとって本来、タイトルなどどうでもよかったのだ。商品として扱う人間が、他の作品と区別するために命名されることが多い。画家本人が他界すると、遺族や関係者が名付けるケースが、現在でも決して稀ではない。タイトルが、テーマやモティーフとして重視されるようになったのは、いったい、いつの頃からだろうか。
 前々回、本欄で「絵画想像力開発法」と題し、画家はタイトルを無視し、作品を恣意的に解釈したり、イメージをデフォルメする訓練をすべきと説いた。では画家は、どのようなタイトルを心掛けるべきか。それが今回のテーマのつもりでいたが、なぜかフェルメールのタイトルだけにこだわりすぎ、ついに紙幅が尽きた。これも、暑さのせいだ。「ターバン」から「真珠の耳飾り」への移行の私見は、単なる妄想に近い憶測にすぎないから、どうか記憶に留めず、軽く読み流して欲しい。

 

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