折々の眼(63)  ドタバタ暮らし 

  ワシオ・トシヒコ(美術評論家)



              

 十数年もつづく或る新聞の恒例の年頭詩を推敲していたら、突然、電話がけたたましく鳴った。没入していたので最初わからなかったけれど、本紙からの連絡だった。「原稿、まだですか」。「えっ!」。頭が真っ白になるとは、このことか。あとはシドロ、モドロの応対ぶり。完璧に忘れていたのである。いつもは必ず、手帳に締切日を赤字でメモっているはず。それが今号に限って、記されていない。こちらの大ミスだ。「すみません。これからすぐに書いて送ります。いつまで送ればいいですか」。「十日まで待ちます。今回は正月号ですよ」。「ゴメンナサイ。急いでファックスで送りますから」といい、電話を切った。このコラムは、中野さんと交互に書いている。だから彼の掲載分が送られ次第、すぐに書くことにしているのだが、つい、つい…。
 とにかく、原稿書きを中心に忙しい。どこにも勤務していないので、退職金がない。生涯、現役をつづけなければならない運命にある。美術評論家とか、詩人とかいわれ、聴こえがよいけれど、経済力優先社会では、間違いなく低ランクに属すだろう。昔″自転車操業″ということばが流行した。まさしく、自転車操業そのもの。ペダルを漕いで走行しているうちは何とかなるが、漕げなくなったらその場に倒れ、あとは推して知るべし。路上生活者になりかねない。この先、職業上の格差が大きくなるにつれ、いわゆる″インテリ層″も路上に押し出されないとは断言できないのではないか。権威におもねないわが道を行くタイプなら、なおのことだろう。友人の賢夫人いわく、「ワシオさんは、遊びが仕事なのよ」。そう見えるらしい。

 

 こんな愚痴話しをしているうち、全美さんの「次は正月号」という声が、耳にハネ返ってきた。こんなドタバタ暮らしをしているうちに、また新しい年を迎える。皆さん、明けましておめでとうございます。何だか改まって、あなたらしくもないといわれるかもしれない。それには、理由がある。東日本大震災の一昨年、釜石市の叔父夫婦が被災死し、あとを追うようにその姉に当たる私の母も他界した。昨年は三六五日、喪中のつもりでいた。年始の挨拶はもとより、「おめでとう」も禁句としてきた。喪が明けたことしこそ、おめでとうから明るいスタート切りたかったのである。一昨年の延長の昨年は、そのまま喪失感で気分が重かった。それにもかかわらず、幸か不幸か仕事が多忙を極めた。
 年末年始にかけ、いくつかのメディアから芸術界についての回顧アンケートを求められたが、最後に、昨年の私のプライヴェートなベスト・ファイブを紹介しよう。@数十年ぶりに単行詩集を刊行A愛猫グレ子、20歳にB国際便オンリーに終止符を打ち、飛行機の国内便に初搭乗Cエキストラとして、反原発劇映画に初出演Dピアノとオルガンと鎮魂花が飾られたキリスト教会の祭壇で、自作詩朗読。
 個々に注釈を要するが、紙幅が尽きた。はたしてことしは、どんなドタバタ暮らしに。

 

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