続・足裏庵日記(65)  ― 字遊び―  中野 中 (美術評論家)


 馴染みの飲み屋がなくなってしばらく不便を託かこっていたが、最近ようやく見つかった。
 10余年通い続けた銀座の居酒屋は、画廊のパーティの流れで多勢で寄るに良し、数人でテーブルを囲むにも適していた。それが一昨年の3・11の影響で閉店してしまった。魚のおいしい店で廉れん価であった。30年ほど世話になった地元の居酒屋もことしに入って閉めてしまった。夫婦でやっており、酒だけでなく食事にも便利で、実に家庭的であったが、田舎の高齢の両親の面倒を見るための閉店である。
 そこで近年は小さなカウンターバーにもっぱら立ち寄っていた。BGMにジャズが静かに流れ落ち着ける店で、加えてマスターが現役の画家だから話題にはコト欠かない。ただツマミが数種類の豆(これが実に気が効いている)だけで、腹の足しにならない。その前に軽く腹に入れておかないと深夜帰宅して、空っぽの冷蔵庫に絶望することになる。
 ようやく見つけた居酒屋は夫婦でやっている(旦那が実にユニークなキャラクターでそこにも惹かれている)小体な店で刺身や魚の煮付けがうまい。自分だけの隠れ家的店にするつもりだったが、いつの間にか数人で出かけるようになってしまった。そこで文字遊びが話題になった。そのことを書こうとして、ずいぶん寄り道をしてしまった。ゆうべの安酒がまだ抜け切れていないのかも知れない。
 話題というのは、もっとも「尊い字」、もしくは「大事な字」は何か、ということだ。

 仲間から長老と呼ばれているA氏が、「尊いのは年寄りじゃないか。年を重ねていろいろな経験をする。そうした老人が大事なのだから〈老〉の字が最も尊いと思う」。
 すると気鋭の若い画家B君が、「本当に大事なのは子供。人間、三つ子の魂を持ち続けるのが大成の要鼎だ。三つ子の〈三〉を推す。しかも三には一と二が含まれている」
 すかさずキングと綽名される美大教授C氏が王様の〈王〉の字を挙げ、正しょうちゃんと呼ばれるDさんがすかさず、正義の〈正〉だと言う。
 〈王〉という字には一も二も三も含まれている。それだけでなく、良く見れば上の字も下という字も下という字も含まれているという解説をして周りを感心させる。ところが、正義のDさんは社会に今こそ大事なのは正義を貫くことであり、字の中にほかの字が含まれるということなら、〈正〉には一と二と上と下、さらに止という字まである、と。
 静かに眠っていたと思われた長老Dが突然カッと目を見開いて、「老人の〈老〉でもの足りないのなら年寄りと言い換えよう。〈年〉という字を良く見てみれば…」。
 おどろくことに、たった六角の字に、一と二と三と上と下と王と止と正のすべてが含まれているではないか。流石は長老!!
とみんなで囃し立てる。こうして安酒やの夜は賑やかにふけてゆく…。
 ※字遊びの字解には参考にした書物があります。

 

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