折々の眼(65)  地殻変動 

  ワシオ・トシヒコ(美術評論家)



              

 東京都美術館のリニューアル前後から、コンテンポラリー系の評論家が、有力公募団体展のギャラリートークやレセプションに出入りするケースが目立っている。なぜなのか。怪訝に思っていたところ、最近になってようやく、私なりに真の意図が見えてきた。
 海外でも知られるアーティストが数人いるとはいえ、コンテンポラリー系の業界全体の基盤は、まだまだ脆弱だ。そこで目をつけたのが、高齢化が甚だしいとはいえ、意外としっかりしている公募団体の枠組というか、組織力なのではないか。そこへ参入することにより、喩えるなら、旧い皮衣の中身を一新しようとしているのかもしれない。
 審査員が替わると、入選作品の傾向までがガラリと一新する。「選抜奨励展」にピリオドを打ち、新しく、「美術賞展FACE」としてコンクール展を立ち上げた損保ジャパン美術財団。第一回展の結果は、公募団体系の入選者が極端に少なくなり、ほとんどが「VOCA展」、「シェル美術賞展」的傾向の作品となった。無理もない、それは「VOCA展」と「シェル美術賞展」の審査員が中心となっているからだ。とりわけ、「VOCA展」を実質的に運営する第一生命保険と「美術賞展FACE」の損保ジャパンは、共に大手の保険会社。将来的に、保険契約が先細る高齢者の多い公募団体系のアカデミックな作品より、明日が計算できる若者のヘタウマふうなコンテンポラリー系を推した方が、得策と考えたのだろう。完全に、双方の利害が一致したわけだ。美術の世界とはいえ、今や経済戦略が優先される競争社会なのである。

 

 さぁ、公募団体に所属するベテラン出品者の皆さん、あなたはどうする?どうするも、こうするもない。現在、あなたが制作したいと願い、制作しつつある作品に取り組むしかないのだ。コンクール展に応募し、一定のレベルに達していても、それ以上は、審査員の主観と相対評価に委ねるしかない。若者たちのようにコンクール受けする作品を創るのは、いかにも虚しい。となれば自分のなかで、自分の評価目標を高く設定し、それに向かってひたむきに進むしかないだろう。誰に命令され、誰のために制作しているわけでもない。自分の生きる糧として選んだのだ。半生の時間の多くを費やす価値あるものとして選んだのだ。幸い現在、世界の美術潮流を俯瞰しても、流行らしい流行がない。ならばこの辺りで、自分の旗を自分なりに掲げるチャンスなのではなかろうか。
 美術表現は、科学ではない。唯物史観的に、進化発展を論理立てるなんて、ナンセンス。ゴールをめざし、作品のロジックからロジックへとバトンリレーされていくわけでない。あくまで横一線に並んでスタートを切り、走りつづけているようなもの。ゴールは、一人一人の胸のなかに輝いていなければならないのだ。
 そのように考えると、現在進行中の美術界の地殻変動など、恐れるに足らない。

 

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