折々の眼(67)  人間は何で出来ているか 

  ワシオ・トシヒコ(美術評論家)



              

 五十円切手を貼った私製ハガキの裏側。その三分の二上部に、円窓に描いた水平が際立つ景色と覚しき「九相図」。刮目するのは、以下の活字部分である。
 酸素45・5s 炭素12・6s 水素7s 窒素2・1s カルシウム1・05sリン0・7s イオウ175gカリウム140g ナトリウム105g 塩素105g マグネシウム35g 鉄6g フッ素3g ケイ素2g 亜鉛2g ストロンチウム320r ルビジウム320r 鉛120r マンガン100r 銅80r アルミニウム60r カドミウム50r スズ20r バリウム17r 水銀13r セレン12r ヨウ素11r モリブデン10r ニッケルr ホウ素10r クロム2r ヒ素2r コバルト1.5r バナジウム0.2r
 これが人体、つまり「人間を形成している成分」と記され、つづいて「鼓動が止まる」「この物質たちは景色に戻っていく」「そしてまた素≠ノなる」という、詩のような四行が、中心揃いに並び終る。それだけの個展DMデータだ。しかし要件を充たし、まったく過不足なく美しい。何よりも、科学的思考に決定的に劣る私のウィークポイントを鋭く突く。この人間形成の成分列挙には、眼を奪われるばかり。人間はこれだけの成分で出来ている、単なる物質にすぎないのだ。死ぬということは、これら成分のどれかが欠損して行くことなのだろう。他の動物たちもまた、人間のこれら成分と数量的にいくらか異なるだけで、そう大差がないのかもしれない。

 

 単に物質にすぎない、われわれ人間たち。それにしては、人間はなんと繊細な感覚と、鋭敏な思考器官を持ち合わせているのだろうか。けれどこれら成分のなかに、感覚や思考器官も収斂され、無と化してしまうのだ。「この物質たちは景色に戻っていく」「そしてまた画家のせめてもの祈りなのだろう。そうでなければ人間存在が、あまりにも虚しすぎる。
 日々、拙宅の郵便受けに、数多く投げ込まれる個展DM。DMでもっとも注意を払うのは何かというと、いうまでもなく作品図版だ。では作品図版がすべてかというと、意外とそうでもない。作品はまあまあでも、コンセプトに説得力があったり、才気を感じさせられると、作者に会ってみたくなる。私自身が美術の人間であり、詩や文学に関わる人間でもあるからなのかもしれないけれど。たったこれだけのデータだけでも、画家の個展へ是が非でも足を運びたくなる。GALERIE SOL(銀座)「坪井麻衣子展」。8月26日から、31日まで。
 この画家の作品をこれまで観たことも、本人に会った記憶もない。しかし、たった一枚の個展DMの活字部分が、こうして会場へ急行させようとしている。作品制作同様、DMづくりにもベストを尽すことが求められる。すべては、一枚の案内状から始まるのだから。

 

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