続・足裏庵日記(68)  ―漱石の美世界(承前)―  中野 中 (美術評論家)


  漱石は、大正元年(1912)の第6回文展を見て、『文展と芸術』という批評を、東京朝日新聞紙上に12回にわたって連載した。その前半を自身の芸術論にあて、後半で具体的に出品作をとりあげて、批評というか寸感を述べている。
 この連載の冒頭に、
「芸術は自己の表現に始まって、自己の表現に終るものである」
の名言が登場する。続いて、
 ―芸術の最初最終の大目的は、他人とは没交渉であるといふ意味である。親子兄弟は無論のこと、広い社会や世間とも独立した、全く個人的のめいく丈の作用と努力に外ならんと云ふのである。他人を目的にして書いたり塗ったりするのではなくつて、書いたり塗つたりしたいわが気分が、表現の行為で満足を得るのである。其処に芸術が存在してゐると主張するのである。―と自身の芸術観を敷衍している。この考えに関していろいろ考察の余地はあるが、具体的に作品についてどう批評しているかを見る方が興深いので、文展評をかいつまんで紹介する。ただ、この芸術観が大正元年の発言であったことは、かなりの新鮮、衝撃であったことであろう。 
 この年、横山大観と寺崎広業が共に〈瀟湘八景〉を出品した。当時は一般的に大観の作品を新しいもの、広業の作品を古いものと考えていた。漱石は両者の作品を比較しつつ、次のように評している。

 ―実際両方を観て行くと、丸で比較にも何にもならない無関係の画であった。広業君のは細い筆で念入りに真面目に描いてあった。ことに洞庭の名月というのには、細かい鱗の様な波を根限り並べ尽して仕舞った。此子供の様な大人のする丹念さが、君の絵に一種重厚の気を添えている。―
 ―(大観)君の絵には気の利いた様な間の抜けた様な趣があって、大変に巧みな手際を見せると同時に、変に無粋な無頓着な所も具へてゐる。―
 大観のこの作品は重要文化財として東京国立博物館にある。
 やはり東博に所蔵されている安田靱彦の《夢殿》は
 ―「夢殿」といふ人物画を観て何といふ感じも興らなかった。(中略)あとで聞くと是は大分評判の高い作ださうである。聖徳太子とかの表情の、飽く迄も荘重に落付いてゐるうちに、何処か微笑の影を含んだ萌の見える所が大変能く出来上がつてゐるのださうである。―
 何だか自分の見立てと違うことに些か不快そうである。
 文展審査員であった和田英作の《H夫人肖像》には、
 ―光線が暗いのではなくつて、H夫人の顔が生れ付暗い様に塗つてあるから気の毒である。其上此夫人はいやだけれども義理に肖像を描ゝしてゐる風がある―となかなか手厳しい。
 坂本繁二郎《うすれ日》については、「此荒涼たる背景に対して、自分は何の詩興をも催さない事を断言する」と言いながらも、
 ―(この牛は)何か考へてゐる。ーと好意的だ。
 紙幅が尽きた。作品図版と並べるともっと興味深いのだが、いつか又の日に 。

 

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