折々の眼(68)  具象絵画の教科書『江藤哲画集』 

  ワシオ・トシヒコ(美術評論家)



              

 十年以上つづいたこの連載コラムも、めでたく今日、最終回を迎える。何事も始めがあれば、終わりもあるのが世の常。大人になりきれない私も、ついは未成熟の子供のまま、そろそろ永の旅支度が気になる年齢となった。多くの美術図書と詩集と愛猫と暮らす部屋を、そろそろ整理しなければならないのかもしれない。美術図書に関していうと、どんな画集や展覧会カタログにも、ほとんど未練がない。ただ一冊の画集を残しさえすれば。それが画家が亡くなる直前の一九九〇(平成2)年に、銀座のぎゃらりいサムホールの井上哲邦さんが構成・編集した人物、風景、静物、デッサンの四分冊を合本した大著『江藤哲画集』である。
 収録された全作品の特徴を述べると、油彩を描く前にクレパスで執拗にデッサンするだけあって、腹一杯に歌っているような強さがあること。油絵具という材質の特性を、とことん活かしきっている。図と地の関係性において、十二分に計算し尽くされた構図だが、その実、密かに微妙な仕掛けが施されているようにも観えること。いくらか、装飾性を帯びた豊麗な色彩。厳しいデッサンに裏打ちされた人物……。
 もしもこれらの性格をすべて兼ね備えた具象画の描き手が存在するとすれば、それは誰か。私がこれまで観た限りにおいては、江藤哲(一九〇九〜一九九一)である。残念ながら私は、生前の彼の謦咳に接したことがない。観たのは、『江藤哲画集』の写真図版作品にすぎない。それでもなお一冊の画集を手許に残し、絵画とは何か、画家とは何かを考えるテキストにするとすれば、やはりこれを選ぶだろう。

 

 具象絵画のすべての要素のエキスがいっぱい詰まっている。基礎工事のしっかりした構築物を鑑賞し、ディテールを探る歓びがある。まるで厭きずに眺めたり、読んだりできる教科書のようなものなのだ。土台が信頼できるので、ここから現在の絵画、つまりコンテンポラリーはじめ、さまざまな方向的展開も勝手に想像可能、というわけである。
 江藤哲といっても、今では識る人が少ないかも識れない。最後のポジションは美術公募団体東光会副理事長で、日展評議員だった。晩年に芸術院賞の選挙に出馬するように周囲に勧められもしたが、きっぱり断ったらしい。潔癖で、かなりの画狂≠セったらしい。この画家については、いつか、どこかに書きたいと思っていた。時間がもうないので、このコラムの記念すべき最終回にピックアップし、江藤哲という存在を初めて私に教えてくれた井上さんに感謝したい。日展系の画家はどちらかというと敬遠しがちだったので、その存在をまったく知悉する術がなかった。しかし、折々に『江藤哲画集』をひもとくようになって以来、私のなかで次第に輝きを増すようになったことを率直に告白する。
 皆さん、長い間のご愛読ありがとうございました。また本紙で、何らかのかたちでお目にかかれることを願って。さようなら。

 

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