夢遥  ゆめはるか

(全日本美術『今月の課題』1996〜2005年を単行本に)
全日本美術編集主幹 松原清 著  A5版 272頁 定価2000円
今月の課題 「絵金祭り」  編集主幹 松原 清
 まだ梅雨も明けやらぬ 7月15日、高知県の「絵金祭り」に出かけた。雨模様が続いていたので心配だった(雨だと絵金の屏風絵が商店街の軒先に飾られない)が、正に梅雨の晴れ間にあたる晴天に恵まれた。前々から一度見たいと思っていた「絵金祭り」、ひょんなことから高知在住の水墨画家のKさんに案内していただけることとなり、美術通 信のTさんと神戸で待ち合わせ、明石大橋を渡り四国道を乗り継いで一路高知へと車を走らせた。「絵金祭り」のあるところは香南市赤岡町。面 積2平方キロもない日本一小さな町である。今では過疎化が進み、小学新入生が3人しかいなくなったと聞いた。人もまばらである。昼過ぎに現地近くに行っても、全く分からない。何しろ国道にそれらしき案内が何もないんだから。夕方になって何やら騒がしくなり、屋台の用意が始まった。人がどこからか急に湧いてくる。私たちは先ず絵金蔵へと歩を進めた。   そもそも「絵金」とは何か!既に見知っている人には釈迦に説法だが、「絵金」は絵師金蔵の呼称である。髪結いの息子として生まれた金蔵は、幼少の頃から絵が好きで、近所の紙筆商で文人画家の仁尾鱗江に手習いし、続いて土佐藩御用絵師・池添楊斎美雅に師事し美高の号をもらう。その才能を見込んだ楊斎は江戸での遊学を奨め、18歳で藩主の息女徳姫の江戸への出府に駕篭かきの共に加えられ江戸にのぼる。江戸では藩邸の御用絵師、前村洞和に就いて学び洞意の号を与えられるが、土佐藩御用絵師で表絵師 の駿河台狩野にも入門する。当代は狩野洞益春信で、金蔵は春信の柔らかな筆致を好んだという。また、浮世絵を好んで学んでおり、特に北斎に心酔して江戸土産に「北斎漫画」を持ち帰っている。江戸から帰国した金蔵は21歳の若さで土佐藩家老の桐間家の御用絵師にとりたてられ、名字帯刀を許される。そして藩医師林家の株を買い取り、林洞意美高と名乗った。洞意の時代の作品は狩野派特有の花鳥図と水墨画が若干残るだけだが、当時は御用絵師の中でも極めて人気が高く、注文絵も多かった。なぜ、洞意の作品があまり現存していないのか、それには贋作事件が大いに関係しているといえる。  
  洞意33歳のころ、同じ町(蓮池町)に住む古物商の中村屋幸吉から模写の依頼を受ける。それは狩野探幽の双幅の絹本「蘆雁図」で、余程うまく描けたのだろう、その模写 が探幽の落款を押されて売りにだされていたのである。買い手から鑑定を依頼された壬生水石(南画家、篆刻家)が、それを金蔵筆と見破ったことから大事件に発展した。家老の桐間は不正の所業だとして御用絵師の職を剥奪、金蔵は一介の町絵師となるのである。医師の心得があった金蔵は町医者の弘瀬姓を買い取り弘瀬柳栄と名乗った。  
  赤岡の町は江戸時代廻船問屋や商工業が栄えた町で、そこに絵金が廻船業の大店に嫁いでいた伯母を頼ってやってきて土佐土蔵を画室にして芝居絵屏風を描いたのである。          (続く)

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