夢遥  ゆめはるか

(全日本美術『今月の課題』1996〜2005年を単行本に)
全日本美術編集主幹 松原清 著  A5版 272頁 定価2000円
今月の課題 「心を痛める」「胸が痛い」  編集主幹 松原 清

 もう6月の声を聞く。この前正月の雑煮を食べたように思うのだが、スケジュールに追われ追われでここまで来てしまった。仕事もちょっと雑になってしまっているようで、同じ題名の作品で作家を取り違えて紹介し、大変なお叱りをちょうだいした。人間だからミスもあるし、思い違いで最後まで校正をすり抜けてしまうこともある。発送以前に運良く発見し、訂正が間に合ってほっとすることもこれまでに何度かあったが、発送後指摘された時は本当にパニックとなる。しかし、一番迷惑しているのは間違えられた方であり、そのお怒りも当然であろう。申し訳ない気持ちで一杯になるが、殆どのミスは気持ちにゆとりがない時に起きてしまっている。記載されたことは、たとえ訂正記事を出しても消えない事実として残るから、そんな言い訳は通 用しない。心を痛める思いだが、今更に気持ちを引き締めなければならない。  
  さて、先日言葉の使い方で大変感銘をうけた。「世間一般の方も読むのだからちゃんとした日本語を使いなさい」との本紙へのお叱りも多分にはいっている。そのひとつが「心が痛む」で、「心」は「我」のことであり、世間の悲惨な事件や哀悼をささげる悲しい天変地異に、また我欲にまみれたスキャンダルに対し「心が痛む」と言ってはならない。「胸が痛む」が本当は正しいのですと。確かに広辞苑でも「胸が痛む」はあるが、「心が痛む」はない。「心を痛める」として自分自身が思い悩める時に使うとある。何気なく私たちは間違った日本語を使っている。

そのことを指摘されるまで、正直何も違和感を覚えなかったし、私自身も平気でそのように話し、また書いていたかもしれない。最近日本語は崩壊していっているなんて記して、若者間で流行っている奥のない記号みたいな言葉を批判してきた私自身が、間違った言葉を平気で使っている。指摘いただいた方は、ある言葉、文章に疑問をいだくとすぐ辞書を広げるのだという。それも6種類ほどの辞書を。言葉によっては正反対の解釈で記載されている辞書があるという。その違いを考察するのもまた楽しいのだと。昔から話し言葉は時代の波の中で大いに変遷してきて現在に至っている。だから言葉の語源に遡るといろいろな疑問が解けてくるのだと語る。「正にこれが温故知新じゃないですか」と。  
  さらに、「心」という言葉で、「あなたは武道をやっているようだから、『無心の境地』になれと言われたことがあるでしょう。『無心』とは何ぞ!と尋ねられた。急に言葉は出てこない。「何も思わない、考えないこと」と答えたと記憶するが、真の解は「自然と一体になること」。「心」は我だから我を無くすことで、例えば武道の場合対戦相手と一体となる。攻撃してきたらこう受けて反撃しようなんて思わない、考えない。押さば引け、引かば押せで自分の間が流れの中にある状態を自然と保つ人は本当に強い。それじゃぁ「残心」とは?真のことばの持つ意味は深い。改めて思う。

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今月の課題