夢遥  ゆめはるか

(全日本美術『今月の課題』1996〜2005年を単行本に)
全日本美術編集主幹 松原清 著  A5版 272頁 定価2000円
今月の課題 「 オーストラリアへの旅 。 」  編集主幹 松原 清

成り行きで決めたシドニーを含めていなかったら、全く美術とは無縁のものになってしまっていたに違いない。何故ならオーストラリアの歴史はシドニーから始まったと言えるからである。私たちはハーバーブリッジを歩いて散策、オペラハウスにも足を運んだ。そして翌日3カ所の美術館へ。  
  オーストラリアを最初に発見したのは、イギリスのキャプテン・クックであり、1770年にボタニー湾(シドニーから南東に16キロ)に上陸してからその歴史がスタートする。今から238年前といえば日本では江戸時代、10代将軍家治、老中田沼意次の治世であり、西洋美術史的にはナポレオンの時代、ダビッドらの新古典派が活躍した頃である。シドニー湾近郊には4万年前からアボリジニが定住し、発見当初30万人程が生活していたとみられているが、1788年より開始されたイギリスの植民地化や、その後のさまざまな国からの移民により、多くのアボリジニの人々が免疫のない病気に晒され、また初期入植者の多くを占めた犯罪者たちはスポーツハンティングと称してアボリジニを殺害、これらにより10%以下の人口に減じたという。政府が彼らの保護政策を初めてとったのは1920年、しかしそれはアパルトヘイトと同じ人種隔離政策であったことは自明であろう。後に子供を白人社会の中で育てるという政策が(1910〜1970年)実施されたが、結果 彼らの民族的アイデンティティーを喪失させることにしか機能しなかった。彼らはストーレン・チルドレン(盗まれた子供たち)と呼ばれている。

 一方、沿岸都市から離れた内陸部に住むアボリジニ達は細々と固有文化を維持し続けたが、それも激減し、文字文化を持たなかったことから文化的痕跡を残さず消滅した部族も多い。アボリジニに先住権が認められたのは1993年になってからで、元々の居住地域の所有権も認められている。  
  これらのことを知るきっかけとなったのは、シドニーに入り2日目に市立美術館を訪れた時で、クックの上陸から総督府の設置、犯罪者の入植開発等々発展の歴史が年代順に説明されていた一方で、アボリジニの虐げられた歴史、人権復活運動の歴史が紹介されていたからである。私は、2008年2月13日、オーストラリアのラッド首相が、先住民アボリジニに初めて公式に謝罪したことすら知らなかったのである。  
  さて、やたらとアボリジニの美術が注目されているが、市立美術館にしても、州立美術館、博物館にしてもアボリジニの作品はすべて撮影不可であった。州立美術館ではオーストラリア生まれで欧州で活躍したり、逆に欧州から来て定住した画家など豪・欧関連の美術展をしていて、これは撮影可である。アボリジニ美術はインパクトある民族芸術だが、商品として意図的に作られた感が強い。アフリカ芸術は他のアーティストが積極的に取り込んでニューアートの根源となったが、アボリジニ美術にはそれがないからである。ちょっと中途半端な旅となったが、これも旅の良さである。            (了)


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