夢遥  ゆめはるか

(全日本美術『今月の課題』1996〜2005年を単行本に)
全日本美術編集主幹 松原清 著  A5版 272頁 定価2000円
今月の課題 「 WBCに思う 」 編集主幹 松原 清

 3月末はWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)に日本中が熱中した。24日(日本時間)はその決勝戦で、侍ジャパンが予選から2勝2敗と唯一敗れている韓国との対戦となった。当日、私は書家日比野光鳳氏の日本芸術院会員就任の祝賀の会に出席していたのだが、厳粛な祝辞と祝賀のセレモニーに続いて乾杯に至り、主賓が各テーブルを回り、祝宴も半ばになると周りがそわそわしだしてきた。そう、丁度その頃決勝戦の大詰めを迎えていたのである。小声で今、8回表日本が追加点を入れて3対1で勝っているとの情報に周りの人もにこにこ顔。不謹慎だと思いながら、私もこっそり携帯を取り出した。しばらくして、その裏好投を続けてきた岩隈が1点を返され、杉内にスイッチ、1点リードで9回に。ノーアウトでイチローが二塁打を打ったところまでが携帯のヤフーニュースで入った。ところが、その後携帯のインターネットがぷっつりと繋がらない。恐らくアクセス数が急増したからであろう。テレビを見られない仕事中の、また電車で移動中の多くの人が一斉に試合経過をモニターしようとしていたのである。1点リードで9回裏ダルビッシュが押さえとしてマウンドに上がったとの伝達情報に恐らく大丈夫だろうと歓談中、同点になって延長戦になったとの再情報。そしてあの劇的な場面 の情報が入ると会場のあちこちで低いどよめきが起こった。そう、イチローが2死1、3塁で勝ち越しの2点タイムリーヒットを打ったのである。祝賀会主催者もそうした雰囲気の中で会の司会者から、その裏ダルビッシュが最後の打者を空振り三振に仕留めて日本がWBC連覇を果 たしたことをマイクで出席者に告げる粋な計らいをして全員の拍手でこの祝賀におおきな華を添えた。

 それにしても凄い試合だった。正直どちらが勝ってもおかしくない熱戦であったように思う。3勝で連続MVPに輝いた松阪大輔、最後の最後を締めたダルビッシュも大したものだが、ヒーローはやはりイチローであった。このWBCで予選からずっと不振にあえぎ、あえぎ続けた最終のそれもこれ以上ない場面 で最高の結果を出す。「僕は(何か)持っていますねえ。最後に神が舞い降りてきましたね。あの打席では、日本がすごいことになっているだろうと思って、自分で実況しながらやっていました。普通 は(そういう邪念が入ると)結果が出ないんですけど、壁を越えた感じです」、「ごちそうさま」といったジョークを交えながらのイチローのコメントがこれまでの不振に苦しんだ胸の内を吐露しているといえる。実際2アウトで、もしイチローが打っていなかったら、試合の流れは大きく韓国に傾いただろうし、逆に9回にダルビッシュが0封して優勝していたら明らかにイチローの名前は沈んでいたし、このような劇的な勝利での喜びにはならなかった。

 美術界を振り返るとヒーローが欲しい感は否めない。黙々と基本の練習を積み、自分の目標を持ち、自分のスタイルを確立する。これでいいということはない。人は変化する、環境も変化する。それによって新たな目標を立てえる人こそヒーローになりえるのだ。人がみごとに生きることは本当に難しいが、その気概を持つことが重要なのだと思う。


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今月の課題