夢遥  ゆめはるか

(全日本美術『今月の課題』1996〜2005年を単行本に)
全日本美術編集主幹 松原清 著  A5版 272頁 定価2000円

今月の課題 「東京五輪に思う」  編集主幹 松原 清

 2016年の夏季オリンピックの開催地がブラジルのリオデジャネイロに決定した。南アメリカで初めての開催となった訳だが、アメリカ・シカゴ、日本・東京、スペイン・マドリードの4箇所の招致争いで、先ず最少得票でシカゴが落選、続く第2選で東京の落選が告げられた。ファイナルの選考でマドリとリオの対決となり、開催地リオデジャネイロの名前が告げられると現地はお祭り騒ぎの歓喜に包まれた。
 北京五輪がアジアで開催されたばかりという不利な条件の中、石原慎太郎都知事の肝いりで、いきなり東京が五輪候補に名乗りを上げ、自民、民主の賛否舌戦を経て、何かしら国民総意とならない雰囲気の中での招致運動が結局敗退という結果になったようにも思われる。これで日本は五輪招致に大阪、名古屋に続いて三連敗となった。1964年の東京五輪開催から半世紀近くが過ぎるが、その当時の招致資料を探すと、決定の一期前、東京はローマとの最終選考で破れ、続いて立候補している。世は高度成長期の入り口にあり、国民の大半が五輪開催を支持していた背景があった。東京はデトロイト、ウイーン、ベルギーを大差で退け招致を確定したとある。知らなかったが、五輪開催は棚ぼた的には転がり込んでこないのである。当時も招致活動に奔走した多くの人たちがいた。戦後復興を短期間でなしえた日本、アジアでの初開催、開発を進めていた新幹線も恐らく招致材料としての目玉であったのだろう、五輪開催10日前に開通させ、三波春夫が五輪音頭を歌っていたのを思い出す。

 

「あの日ローマで眺めた月が、今日は都の空照らす…」私は当時小学6年生だった。回転レシーブで一躍世界トップに躍り出た女子バレーの東洋の魔女、体操王国日本を顕示した遠藤幸雄、早田卓次、山下治広、重量挙げの三宅義信、レスリングでの吉田義勝ら5名の金メダル、東京から正式競技となった柔道ではアントン・ヘーシングに破れた神永昭夫の決勝戦が、マラソンの円谷幸吉などが今もくっきりと記憶に残る。市川崑監督のドキュメンタリー映画「東京オリンピック」は食い入るように見つめた。そう、五輪は日本という国の一大プロジェクトとして位置づけられていたし、続く6年後の大阪万国博覧会開催へと弾みをつけたのも事実である。その当時と今の日本、何がどう違うのだろうか。
 思うに、日本人としてのアイデンティティーの欠落が根底に横たわっているのではないだろうか。その頃は安保問題があったし、日本はどうあるべきかという事が常に語られていた時代であった。仕事熱心で、まだ恥を知る国民性を保っていた。それが米国の傘の下、官僚主導の経済優先で政治不在となり、文化政策の衰退、外交下手の中、世界の孤児になりつつあった。国民不在の派閥政治に初めてノーと言ったのは今年なのである。五輪招致は政治と国民が一体となって初めて成しえる事ではなかろうか。

 


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今月の課題